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落合博満32歳が批判「えっ? 原辰徳とオレで釣り合うかって?(ニヤリ)」巨人電撃トレードの噂をバッサリ…「落合は巨人ドラ2だった」説の真相まで 

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中溝康隆

中溝康隆Yasutaka Nakamizo

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posted2024/10/26 11:04

落合博満32歳が批判「えっ? 原辰徳とオレで釣り合うかって?(ニヤリ)」巨人電撃トレードの噂をバッサリ…「落合は巨人ドラ2だった」説の真相まで<Number Web> photograph by KYODO

1986年オフにロッテから中日にトレードされた落合博満。1億3千万円(推定)でサインし、日本人選手初の1億円プレーヤーに

「オレがもうひとつ言いたいのは原は果たして、マスコミやファンが言うように“巨人史上最悪の四番バッター”なのか? こういうことだよね。(中略)原のホームランや打点には、試合の大勢に関係ないものが多いという声があるように、数字がすべてではないけど、それでもオレは、『原はよくやっている』と思うよ。原にもこの先、“大きく化ける”可能性はあるわけ。オレは、この先原が、どこまでONに迫れるか、楽しみに見守ってやるべきだと思うね」(週刊宝石1986年10月24日号)

 かと思えば、スポーツ紙の一面で「原放出、落合と交換へ」と派手に報じられたときには、揺るぎない三冠王の自信とプライドを垣間見せる。

「オレは球団同士の話し合いの結果に従うだけでね。十二球団どこでも野球がやれればいいわけよ。えっ、オレと原の交換トレードの記事読んだかって? あったねえ。原とオレとで釣り合うかって? そんなこと、オレの口からいえると思う?(ニヤリ)」(週刊現代1986年11月8日号)

巨人トレード「中畑プラス3億円」報道

 なお、この時期の巨人は、1983年のリーグVを最後に優勝から遠ざかるが、王体制1年目の84年から早くも「“巨人改造計画”の中身 王監督が狙うトレードでロッテの落合獲得」(週刊ベースボール1984年9月17日号)という特集記事が掲載されている。頼りない四番原の代わりは球界最強スラッガー落合しかいない、というわけだ。翌85年には「交換選手は中畑プラス3億円」との報道。ちなみにこの年、認定された労組日本プロ野球選手会の初代会長は中畑清、副会長を落合と梨田昌孝が務めていた。

 さらに稲尾和久監督が辞任した86年のストーブリーグは、11月上旬、日米野球に参加中の落合自身が「稲尾さんがいないのならロッテにいる必要がない。個人事業主として、一番高く評価してくれるところと契約したい」と宣言したことにより報道が過熱。「篠塚、西本、角と交換というが落合博満は本当に巨人に必要か」(週刊文春1986年11月20日号)、「巨人ロッテ担当記者緊急座談会、落合トレードの『Ⅹデー』はいつだ?」(週刊ベースボール1986年12月1日号)とオレ流の巨人移籍が既定路線のような論調も目立った。

星野仙一が明かした“ウラ話”

 しかし、交換選手で折り合わず、時間だけが過ぎていく。11月20日、ロッテの有藤道世新監督の「1対3になるなら全員投手を、それも若くて将来性のある投手を要求する。江川と槙原(寛己)、桑田(真澄)をくれないかな。落合の代わりになる野手はバースくらいだ。巨人にはいない」という現実味のない発言は、事実上の交渉終結宣言でもあった。その騒動の渦中で、オレ流は所ジョージと出演したテレビ番組で『巨人の星』の主題歌を歌ってみせるのだ。

【次ページ】 星野仙一が明かした“ウラ話”

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