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ぶら野球BACK NUMBER
落合博満32歳が批判「えっ? 原辰徳とオレで釣り合うかって?(ニヤリ)」巨人電撃トレードの噂をバッサリ…「落合は巨人ドラ2だった」説の真相まで
posted2024/10/26 11:04
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph by
KYODO
あれから30年。巨人にとって落合博満がいた3年間とは何だったのか? 当時を徹底検証する書籍「巨人軍vs.落合博満」が発売され、即重版と売れ行き好調だ。その書籍のなかから、「じつは一度消えた“巨人・落合博満”」を紹介する。何度もウワサされたロッテ落合の巨人移籍はなぜ実現しなかったのか?【全2回の後編/前編も公開中】
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「弱いジャイアンツだからそういう話が出る」
「いまどちらかっていうと管理野球でしょう。手とり足とり教えてサ。でもそれだったら野球やってる意味がない、つまらないと思うのね。野球はそれ自体ルールがあるんだから、そのルールの中でまだそれ以上にああせい、こうせいいわれたっておもしろくないじゃない。自分で作っていかにゃあ」(週刊ベースボール1982年10月25日号)
80年代、巨人戦は国民的娯楽として異様な人気を集めたが、玄人好みのパ・リーグで1982年に続き、85年、86年と前人未到の3度の三冠王に輝く落合の存在は、その反巨人的な価値観の代表でもあったのである。実際にこの時期の背番号6は、週刊誌で連載コーナーを持ち、度々「“巨人の時代”なんてもはや過去のもんだね」と口撃。80年代中盤、頻繁にスポーツ紙を賑わせた自身の巨人へのトレード話についても、痛烈な盟主批判を口にしている。
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「弱い、優勝できないジャイアンツだからそういう話が出るわけで、迷惑ついでに言わせてもらうと、いまのジャイアンツの選手とだったら、1対5でも割りに合わんよ。オレは、マジにそう思っているし、彼らとは、それぐらい野球に取り組む姿勢が違うってことなんだ」(週刊宝石1985年12月13日号)
「原とオレで釣り合うかって?(ニヤリ)」
一方で、落合は、原が毎年のように30本塁打をクリアしながらも、「ボールを怖がる」とか「チャンスに弱い」とマスコミから叩かれていると、「ボールを怖がる野球選手はなにも原だけじゃないわけよ。オレ自身も怖いし、ボールを怖がるバッターは、いくらでもいる。ジャイアンツのゲームは、ほぼ全試合テレビ中継されるし、スポーツ紙の記事の量も多い。つまり、原の場合、それだけ目立つわけ」と擁護し、背番号8が左手首を骨折した際にはこんなオレ流エールを送っている。