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落合博満32歳が批判「えっ? 原辰徳とオレで釣り合うかって?(ニヤリ)」巨人電撃トレードの噂をバッサリ…「落合は巨人ドラ2だった」説の真相まで 

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中溝康隆

中溝康隆Yasutaka Nakamizo

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posted2024/10/26 11:04

落合博満32歳が批判「えっ? 原辰徳とオレで釣り合うかって?(ニヤリ)」巨人電撃トレードの噂をバッサリ…「落合は巨人ドラ2だった」説の真相まで<Number Web> photograph by KYODO

1986年オフにロッテから中日にトレードされた落合博満。1億3千万円(推定)でサインし、日本人選手初の1億円プレーヤーに

 そこで逆転の落合獲りに動いたのが、中日新監督の星野仙一だった。現役時代に弟分として可愛がった25歳右腕の牛島和彦に加えて、上川誠二、平沼定晴、桑田茂を出す1対4の大型トレードを電光石火の早さで成立させるのである。後年、星野が明かした裏話によると、「もう30年もたつんだから時効かな。ロッテは篠塚(和典)を欲しかった。でも巨人としては出せないと。それから(候補を)いろいろ出したけど、ロッテから見ればいい名前がない。それでご破算となった」(スポーツ報知2016年12月23日付)という。

 前年の85年オフには定岡正二が、近鉄へのトレードを拒否して、電撃引退する騒動があったばかり。篠塚も「出すならオレにも覚悟がある」と匂わせ、第二の定岡になる恐れもあった。のちに“平成の大エース”と呼ばれる巨人の斎藤雅樹も移籍を覚悟していたが、86年12月26日夜に『ニュースステーション』で生中継された落合の中日入団会見をテレビで見て、本当に自分のトレードがなくなったことを知り家族は一斉に拍手をしたという。当時の“巨人ブランド”にはそれだけの魅力があり、そのど真ん中で、ONと比較され過剰なバッシングを受けながら、傷だらけで四番を張っていたのが原辰徳だった。

「落合は巨人ドラ2だった」説の真相

 結局、80年代、幾度となく落合の巨人移籍はマスコミを賑わせながらも、実現することはなかった。なお、野球ファンの間で都市伝説的に語られている「巨人が江川事件で1978年ドラフト会議をボイコットしていなければ、落合は2位で指名されていた」というのは有名な話だが、ドラフトから数年後に元巨人スカウトの内堀保が当時の内情を語っている。

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「私は落合を推したが、上層部には有名チーム出身で、しかも名前の売れた選手を好む傾向があって、次の年に原を指名(※引用者注、原は翌々年の1位指名)するふくみで、江川、森(繁和)と投手がトップ候補となった。結局江川問題で、巨人はドラフト会議をボイコットするのだが、もしドラフト会議に出席しても二位までに落合は指名しなかっただろうな」(月刊プロ野球ニュース1986年4月6日号)

 なんと、本人たちの意思がまったく関与しないところで、プロ入り前から落合と原の運命は一瞬だけ交差していたのである。

<前編から続く>

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「エリートなどくそくらえっ!」年俸540万円、落合博満は12球団で“最も給料が安い”四番バッターだった…そして現れた“8000万円ルーキー”原辰徳

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