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球界関係者の怒り「落合のあの表情がダメ」「巨人がカネで四番を買うなんて恥だ」落合博満40歳のFA移籍…原辰徳は焦った「異例の猛練習」

posted2024/10/19 11:00

 
球界関係者の怒り「落合のあの表情がダメ」「巨人がカネで四番を買うなんて恥だ」落合博満40歳のFA移籍…原辰徳は焦った「異例の猛練習」<Number Web> photograph by KYODO

1994年2月、巨人での初めての宮崎キャンプ。40歳の落合博満は守備練習でこの鬼気迫る表情を見せた

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中溝康隆

中溝康隆Yasutaka Nakamizo

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KYODO

40歳での鮮烈なFA宣言、巨人へ電撃移籍した落合博満……1993年12月のことだった。
あれから30年。巨人にとって落合博満がいた3年間とは何だったのか? 当時を徹底検証する書籍「巨人軍vs.落合博満」が発売され、即重版と売れ行き好調だ。その書籍のなかから、「40歳落合、巨人での初キャンプ」を紹介する。「ジャイアンツはこんなに練習しないのか…」落合が漏らした思わぬ本音とは?【全2回の前編/後編も公開中】

◆◆◆

球界関係者の“怒り”「金で四番打者を買うなんて…」

「落合が『一番高いものを出すところに行く』といっているけど、まあ、これは選手としては当然の発言。いうのはかまわん。かまわんけどもあの表情がよろしくない。『お前さんだけでプロ野球が動くのか? プロ野球はお前さんのためにだけあるのか?』あの表情に対してオレはそういいたくなる」(週刊ベースボール1993年12月27日号)

 これは元西鉄の強打者・豊田泰光の連載「オレが許さん!」で落合に向けられた言葉である。豊田はジャイアンツが少年たちの憧れであり、「その子供たちに、巨人に落合が来ることで、ダーティー・イメージを与えるとしたら、これは由々しき問題である」とまで書いている。

 1993年の年末から94年の年明けにかけて、FA宣言をした落合の巨人移籍に対して、多くの球界関係者やOBが否定的で、怒りや不快感を露わにした。まだ当時の日本社会は年功序列や終身雇用の価値観が根強く、プロ野球でもひとつの球団でキャリアを終えるのが当たり前で、移籍は「所属チームから出される」というマイナスイメージの方が強かった。好条件を求めて選手が球団と交渉することすらワガママと取られてしまう、そんな時代である。だが、FA制度はそういう昭和的な価値観を根本から変えてしまった。ライターの近藤唯之は、「私は心の底から情けないと思う」とコラムの中で長嶋巨人のオレ流獲得を痛烈に批判している。

【次ページ】 長嶋監督への不満「あくまでスターなんだよね」

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