酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
大谷翔平「50-50」間近の中で称えたい大記録「35-35を2回」秋山幸二、張本勲は通算「504-319」だが…今季NPB「10-10」は2人だけ、誰?
posted2024/09/18 17:01
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph by
Nanae Suzuki/Makoto Kenmizaki
大谷翔平が挑んでいる昨今の「50-50」の話題を見るにつけ――痛感するのは「記録は発見される」ものだということだ。
「30-30」「40-40」の価値観が高まるまで
30-30=同一シーズンに30本塁打、30盗塁を同時に達成すること、が「すごい記録だ」となったのは、ジャイアンツ、ヤンキース、エンゼルスなどでプレーしたボビー・ボンズが1969年を皮切りに5回も30-30を記録したことがメディアに大きく取り上げられたのがきっかけだ。
野球史をさかのぼると、30-30はそれ以前に、1922年のセントルイス・ブラウンズのケン・ウィリアムズ(39-37)を皮切りに、ジャイアンツのウィリー・メイズが1956年(36-40)、57年(35-38)、1963年のブレーブス、ハンク・アーロン(44-31)と、過去に4例あることが分かった。しかしボンズ以前は注目されていなかった。
ボンズの記録からメジャーリーガーたちは30-30を「パワーとスピード」をともに満たした大記録だと意識し始めたのだ。
その後、「30-30」に挑む選手が続々と現れ、今年の大谷翔平、ガーディアンズのホセ・ラミレスまで延べ71人を数える。さらに「40-40」も1988年のアスレチックス、ホセ・カンセコ(42-40)を皮切りに今年の大谷翔平まで6人が記録。大谷はこうした記録の歴史を背景に前人未到の「50-50」に挑んでいる。
反対に言えば「30-30」の概念がなかった時代にも、この記録をクリアする能力を備えた選手はいたはずだが――この数字が目的になっていなかったから、意識することがなかった。例えば若いころは「俊足」でならしたヤンキースの大選手、ミッキー・マントルなどは「30-30」の価値観が存在したら、何度も達成していたのではないか。
トリプルスリーは12回、でも「35-35」は3回だけ
MLBでは「30-30」達成者を「30-30クラブ」メンバーと表現し、特別扱いしている。
一方でNPBでは今に至るも「30-30」は、大記録とは意識されていない。
ただ30本塁打、30盗塁に「打率3割」を加えた「トリプルスリー」は、1989年、西武の秋山幸二が打率.301、31本、31盗塁を記録して以来注目された。