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「足は引っ張らないでくれと…」男子バレー小野寺太志の母が語る、素人同然だった息子がオリンピック選手になった日「祐希の言葉が嬉しくて」
posted2024/07/29 17:05
text by
田中夕子Yuko Tanaka
photograph by
Kaoru Watanabe/JMPA
「嘘でしょ? 太志、スタメンなの?」
名門・東北高校でバレーボールを始めた小野寺太志が、初めて出場した公式戦は入部から間もないインターハイ予選だった。
母・いく子さんは実業団でプレーした元選手、父・学さんは東北高バレーボール部のOB。バレーボール一家ではあったが、両親は「私たちは素人(太志)の親だから」と、のぼりを設置したり、お茶を配ったり、いち下級生の親として謙虚に部内の仕事をこなした。
試合を見るまもなく、あくせく働いていると、いく子さんは息子がユニフォームを着てコートに立っていることを知る。名門校のスターターの6人に名を連ねる姿に驚愕した。
「私たちの中では1年目でまず体力をつくって、2年生になったらワンポイントブロッカーで出られるように。3年目にレギュラーとして頑張っている姿が見られたらいいね、と話していたんです。それが突然インターハイ予選で太志が出ている。真ん中でグルグル回っているだけでしたけど、びっくりしちゃって。大丈夫なの?と、ただただ心配でした」
名門校なのに“未経験者”がスタメン
母の思いとは異なり、その後も太志の試合出場の機会は増えていった。
もしも、東北高がインターハイや春高バレーなどの大きな大会の目先の勝利を求めるだけならば、おそらく数カ月前にバレーボールを始めたばかりの素人同然の1年生を試合に起用することはない。
だが、同校は何度も全国優勝を成し遂げた名門校であると同時に、多くの選手をVリーグや日本代表も輩出した実績をもつ。たとえサイズがあったとしても、育成に重きを置いた指導でなければ、この大抜擢は実現しなかったかもしれない。将来を見据え、野球からバレーボールに転向させた選手を積極的に起用しないといつまでも成長は見込めない。
周囲の環境に恵まれた小野寺は、1年時から春高バレーのコートも経験することができた。