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「まさか日本代表になるなんて」男子バレー小野寺太志の母が語る“身長2mの野球少年”がバレーボールに出会うまで「太志は昔から器用貧乏で…」
posted2024/07/29 17:04
text by
田中夕子Yuko Tanaka
photograph by
L)Naoya Sanuki/JMPA
202センチ。後に日本が誇るミドルブロッカーへと成長を遂げる一人息子、小野寺太志は生まれた時からビッグベイビーだった。
「予定日は3月3日で、生まれて来たのは2月27日。ちょっと早かったんですけど、身長55センチで4000g。産着から手だけじゃなく肘まで出ていました(笑)」
生まれた時から「大きかった」と聞いても驚かない。日本にとって待望の2mクラスの身長がありながら、スパイクやブロックのみならず、レシーブ、トスと何でも器用にこなす強みがある。稀有なバランス型のミドルブロッカーだ。
振り返れば、その片鱗は幼い頃から垣間見えていた。
「一人っ子だけどワガママは言わない」
母・いく子さんは、産休を終えて間もなく仕事に復帰。そのため、太志は0歳児の頃から託児所で母を待つ日々を過ごした。
泣いて暴れる日があっても不思議ではないが、当時から周りを困らせることは一切なかったという。託児所のお迎えを近隣の友人や親戚に頼むことも多く、物心がつく頃には「お母さん、僕、今日はどこのおうちに帰るの?」と気遣われた。
「家で遊んでいる時も『ここは好きなように落書きしてもいいけど、ここ以外の場所はダメだよ』と言えば、ちゃんとその通り、決めた一角にだけ落書きをしたり、シールを貼ったり。基本的におとなしかったですね。
小学生になってからは、地区の児童センターに行くんですけど、そこも17時には締まってしまう。迎えがどうやっても間に合わなかったとき、近所のお友達のご家族にお願いしたら『毎日うちに帰ってくればいいよ』と言ってくれて、本当に『ただいま』って帰っていたぐらいで。お友達の兄弟もいるから“太志兄ちゃん”ってみんながついてきてくれた。一人っ子だけどワガママも言わず、みんなに育ててもらいました」
ずっと健康優良児で、縦に大きかったが、横にも伸びた。そんな息子を見た母はまず体重を落とすために水泳を勧めた。すぐに自由形、平泳ぎ、背泳ぎ、バタフライと全種目をマスター。器用さはこの時から際立っていた。