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「足は引っ張らないでくれと…」男子バレー小野寺太志の母が語る、素人同然だった息子がオリンピック選手になった日「祐希の言葉が嬉しくて」
text by
田中夕子Yuko Tanaka
photograph byKaoru Watanabe/JMPA
posted2024/07/29 17:05
2度目のオリンピック出場を果たした小野寺太志(28歳)。202cmの高さがありながら、器用さを併せ持つミドルブロッカーだ
試合に出場すれば、2mに迫る長身選手は多くの関係者の目を引いた。東北ブロックの「高身長選手合宿」にも召集され、その後、U18日本代表に選出。しかし、トントン拍子で階段を駆け上がる小野寺が初めての壁にぶち当たったのが、このU18日本代表での活動だった。
アンダーカテゴリーとはいえ“日本代表”だ。セッター大宅真樹やミドルブロッカー高橋健太郎など、後に日本代表で活躍する選手たちがズラリ。しかも、小野寺の世代は星城高(愛知県)が三冠を2年続けて成し遂げ、黄金期を迎えようとしていた。後に「六冠」を達成する、いわば世代最強とも言うべきメンバーが揃っており、その中心にいたのが星城のエース石川祐希だった。
「嫌だなぁ…」弱音を吐く息子
合宿が終わると、小野寺はいつも母に愚痴をこぼしていた。
「『俺全然できないのにさぁ、嫌だなぁ』って。そう思うのも当然ですよね。高校で練習する時以上に、周りはうまい子たちばっかりじゃないですか。そこで勝負しなければいけないけれど、自分の力がない、できないのは自分自身が一番よくわかっていたはずですから」
ただし、小野寺にとって唯一の例外もいた。学年が1つ上の高橋健太郎だ。
「健太郎とは東北の高身長合宿から一緒だから、お互いできないことを知っていたんです。当時の健太郎は今より子どもだったから、太志も『あの人はいつも自分のミスを人のせいにする』って笑っていました」
高橋もまた、小野寺と同じく中学まで野球部に属し、バレーボールを始めたのは高校から。素人同然だった2人が、数年後に日本代表で共にプレーし、パリ五輪にも出場する未来など、この時はまだ誰も想像すらしていなかった。