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「まさか日本代表になるなんて」男子バレー小野寺太志の母が語る“身長2mの野球少年”がバレーボールに出会うまで「太志は昔から器用貧乏で…」

posted2024/07/29 17:04

 
「まさか日本代表になるなんて」男子バレー小野寺太志の母が語る“身長2mの野球少年”がバレーボールに出会うまで「太志は昔から器用貧乏で…」<Number Web> photograph by L)Naoya Sanuki/JMPA

中学まで野球に夢中だった小野寺太志(28歳)。高校からバレーボールをはじめ、日本代表まで上り詰めた

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田中夕子

田中夕子Yuko Tanaka

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L)Naoya Sanuki/JMPA

 パリ五輪・予選リーグ初戦で難敵ドイツに敗れたバレーボール男子日本代表。まさかの黒星スタートとなったが、フルセットまでもつれた大接戦で何度も試合の流れを手繰り寄せたのがミドルブロッカーだった。絶対負けられない次戦を前に、男子バレーの進化を象徴する“2mトリオ”の原点に迫る。本稿では、小野寺太志の母・いく子さんを取材した。《NumberWebノンフィクション全6回の1回目》

 202センチ。後に日本が誇るミドルブロッカーへと成長を遂げる一人息子、小野寺太志は生まれた時からビッグベイビーだった。

「予定日は3月3日で、生まれて来たのは2月27日。ちょっと早かったんですけど、身長55センチで4000g。産着から手だけじゃなく肘まで出ていました(笑)」

 生まれた時から「大きかった」と聞いても驚かない。日本にとって待望の2mクラスの身長がありながら、スパイクやブロックのみならず、レシーブ、トスと何でも器用にこなす強みがある。稀有なバランス型のミドルブロッカーだ。

 振り返れば、その片鱗は幼い頃から垣間見えていた。

「一人っ子だけどワガママは言わない」

 母・いく子さんは、産休を終えて間もなく仕事に復帰。そのため、太志は0歳児の頃から託児所で母を待つ日々を過ごした。

 泣いて暴れる日があっても不思議ではないが、当時から周りを困らせることは一切なかったという。託児所のお迎えを近隣の友人や親戚に頼むことも多く、物心がつく頃には「お母さん、僕、今日はどこのおうちに帰るの?」と気遣われた。

「家で遊んでいる時も『ここは好きなように落書きしてもいいけど、ここ以外の場所はダメだよ』と言えば、ちゃんとその通り、決めた一角にだけ落書きをしたり、シールを貼ったり。基本的におとなしかったですね。

 小学生になってからは、地区の児童センターに行くんですけど、そこも17時には締まってしまう。迎えがどうやっても間に合わなかったとき、近所のお友達のご家族にお願いしたら『毎日うちに帰ってくればいいよ』と言ってくれて、本当に『ただいま』って帰っていたぐらいで。お友達の兄弟もいるから“太志兄ちゃん”ってみんながついてきてくれた。一人っ子だけどワガママも言わず、みんなに育ててもらいました」

 ずっと健康優良児で、縦に大きかったが、横にも伸びた。そんな息子を見た母はまず体重を落とすために水泳を勧めた。すぐに自由形、平泳ぎ、背泳ぎ、バタフライと全種目をマスター。器用さはこの時から際立っていた。

【次ページ】 母は実業団でプレーしたバレーボール選手

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