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「身長伸びすぎて病院に…」男子バレー“204cm”山内晶大の母が語る、スポーツと無縁の息子の運命を変えた電話「お母さん、学校に来てください」
posted2024/07/30 17:00
text by
田中夕子Yuko Tanaka
photograph by
L)Naoya Sanuki/JMPA
2度目の五輪出場を果たした山内晶大は、パリ五輪に出場するミドルブロッカー3人の中で最年長の30歳だ。204cmの身長と、長い手足を存分に使った、高い打点から放つスパイクを武器に、日本代表でのプレー歴は早いもので今年で11年目を迎えている。
バレーボールに精通した人ならば、もうそんなに経つのかと感慨深い思いを抱くかもしれない。
だが、その当時「この選手が10年後も日本代表でプレーし、しかも2回も五輪に出る」と言っても、信じる人はほとんどいなかっただろう。何しろ当時のバレー歴はわずか5年。前稿で紹介した同じ日本代表ミドルブロッカーの小野寺太志と同様に、山内も高校からバレーボールを始めた。いわば素人同然の選手がこれほど長く日本代表の主軸で活躍できるなんて、何の夢物語か。
周りで見ていた人以上に、信じられない思いでこの10年を見続け、応援し続けてきた人がいる。母の純子さんだ。
「想像より大きくなっちゃった」
息子と同じくスラリと背が高い。中学、高校までバレーボール部で県大会にも出場していた純子さんが、待望の長男を出産したのは1993年。もちろんと言うべきか。息子は当時から群を抜いて大きかった。
「体重は4300gで身長は55cm。初めての子だったから、私自身はどのぐらいの大きさか、標準がわからなかったんですけど、同じ日に産まれた女の子と比べたら、圧倒的に大きかったです(笑)」
産まれた時のまま、健やかに、大きく育ちますようにと願いを込めて「晶大(あきひろ)」と名付けた。その名に違わず、むしろ「想像より大きくなっちゃった」という息子の性格は、おとなしく、穏やか。周囲の子どもたちとはもちろん、6歳下の弟とケンカをした記憶もない。周りと並べば常に頭ひとつ飛び抜けて大きかったが、目立つのは嫌いで、人の前に出たり先頭に立って何かを決めるのは苦手だった。
そんな息子が初めてスポーツに触れる。きっかけは、小学4年生から始まるクラブ活動だった。