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プロ野球PRESSBACK NUMBER
パンツ一枚で日本刀を振り回し…「巨人を去った満塁男」駒田徳広はなぜ一本足打法を断念したのか? 朝方まで猛特訓も…“王貞治二世”の苦悩
text by
長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph byKYODO
posted2024/07/06 11:00
王貞治監督から一本足打法の習得を打診された1984年の駒田徳広(当時21歳)。「荒川道場」での猛特訓が幕を開けた
転機は王監督時代のプロ4年目、84年シーズンに訪れた。
「4月の終わりだったと思います。突然、“一本足打法にしてみないか?”と言われました。王さんは僕のことをもっとホームランを打てる打者にしたいという意思を持っていたんだと思います。もちろんとまどいはあったけど、監督から“やれ”と言われて、“イヤです”とは言えないし、自分のためにもなると思って一本足打法に取り組みました」
王は、自らの師である荒川博に頭を下げて、駒田の指導を依頼した。以来、駒田と荒川によるマンツーマンの指導が連日連夜続くこととなった。いわゆる「荒川道場」では、パンツ一枚になって、天井から吊り下げられた新聞紙の短冊を真剣で斬り落とす練習が展開された。
荒川道場での猛特訓「長いときには朝4時半過ぎまで」
84年4月、開幕直後から一本足打法に取り組んだ駒田は一軍にいるときには後楽園球場でナイトゲームに出場し、試合終了後には都内の荒川の自宅に行き、朝方まで特訓に励んだ。そして二軍では、朝から一軍練習が始まるまで新打法に取り組んだ。
「荒川さんのお宅には毎日行きました。なかなかうまくいかなくて、長いときには朝4時半過ぎまでやったこともありました。夏だから外はもう明るかったですね。そこから寮に戻って、またその日の試合に備える。そんなことの繰り返しでした」
当時21歳だった駒田は「とにかく真っ白な状態で何でも受け入れよう」と決意していた。しかし、それまで二本足で打ち、高校球界で実績を残してプロに入ってきた自負もある。一からの練習は大変だった。
「王さんの一本足打法はピタッと足を静止して構える。そうしてボールをきちんと見極めて打ちにいくという、非常に高度なバッティングフォームです。“本当に自分にできるのかな?”という思いと“22歳の王さんにもできたのだから自分にもできるはずだ”という思いを持ちながら練習を続けました。でも、なかなかしっくりとこなかった。相手ピッチャーに緩急をつけられたときの間の取り方が大変でした」
こうした一本足打法の特訓は1年ほど続けられることとなった。
<続く>