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パンツ一枚で日本刀を振り回し…「巨人を去った満塁男」駒田徳広はなぜ一本足打法を断念したのか? 朝方まで猛特訓も…“王貞治二世”の苦悩 

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長谷川晶一

長谷川晶一Shoichi Hasegawa

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posted2024/07/06 11:00

パンツ一枚で日本刀を振り回し…「巨人を去った満塁男」駒田徳広はなぜ一本足打法を断念したのか? 朝方まで猛特訓も…“王貞治二世”の苦悩<Number Web> photograph by KYODO

王貞治監督から一本足打法の習得を打診された1984年の駒田徳広(当時21歳)。「荒川道場」での猛特訓が幕を開けた

 真剣な表情で駒田は続ける。

「自分のプレーで監督やコーチに指摘されたとき、僕は納得いかないことや疑問があれば、監督に聞くタイプです。それで納得できれば“なるほど、すみませんでした”と言って必死にプレーします。でも納得できなければイヤな顔をしてしまうでしょうね。実際そういうことも、藤田監督、近藤昭仁ヘッドコーチ時代には何度もありましたからね」

 決して器用な生き方ではない。むしろ不器用な生き方だろう。しかし、それが駒田徳広という男なのだ。

「誰からも注目されない」県立高校から巨人に入団

 奈良県立桜井商業高校から、ジャイアンツにドラフト2位指名されたのは1980(昭和55)年秋のことだった。数多くのプロ野球選手を輩出している甲子園常連校ではない。強豪校出身者の場合、母校の先輩後輩だけでなく、ライバル校出身者も含めて、さまざまな人脈を築くことができる。その後大学、社会人と進めば、そのネットワークはさらに広がっていく。

 しかし、強豪校を卒業したわけでもなく、大学や社会人経由でもない駒田は、よく言えば「何もしがらみはない」けれど、一方では「誰の助けも借りられず独力で歩まねばならない」という側面もある。

「いや、それをデメリットに感じたことはないですね。ある意味では自由ですよ。僕の場合は誰も知り合いがいないから、誰からも注目されない代わりに、誰からも文句を言われることもなかったですから(苦笑)」

 駒田は淡々と語り続けている。

「王二世」として一本足打法に挑戦

 最初に注目されたのはプロ3年目の83年のことだった。開幕2戦目の対大洋ホエールズ戦の試合前に負傷した中畑清に代わって急遽、スタメンに抜擢された。初回に迎えたプロ初打席。駒田は日本プロ野球史上初となるプロ初打席満塁ホームランを放った。

「デビューはすごく目立ったけど、でも、その後は鳴かず飛ばずの時期が、しばらくの間は続きました……」

 この言葉通り、センセーショナルなデビューを飾ったものの、中畑が復帰すると再び控えとなり、レギュラーを奪い取ることはできなかった。

【次ページ】 パンツ一枚で日本刀を…朝方まで続いた猛特訓

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