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プロ野球PRESSBACK NUMBER
「4階から飛び降りようと…」駒田徳広が苦しみ続けた“王監督への負い目”…同僚の陰口、巨人ファンからは罵声「駒田、お前はもういいよ!」
posted2024/07/06 11:01
text by
長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph by
KYODO
「死ぬんだったら、野球なんか辞めて奈良に帰ってこい」
「若い頃の王さんが取り組んだことと同じ指導を受けました。それはとても光栄なことだったし、“王さんと同じ練習をして、同じ道を歩んでいるんだ”と考えると、嬉しさが勝りました。でも、年齢も若かったし、結果が出ないことに関してはとても苦しかったです。王さんの顔に泥を塗ることはできない。けれども、全然結果が出ない。その苦しみはずっと続きました」
この頃、傍目にわかるぐらい駒田は憔悴していた。悲壮感を漂わせて考え込む姿は痛々しく、周囲からは「考える人」から「ロダン」とあだ名された。久しぶりに父と食事をした際には、「死ぬなよ。死ぬんだったら、野球なんか辞めて奈良に帰ってこい」と言われたこともあったという。
「でもこの頃、一人だけ僕とちゃんと向き合ってくれたのが原さんでした」
80年ドラフト同期ながら年齢は4歳年上で、すでにスター街道を邁進していた原辰徳は、悩める駒田に言った。
「今、何も明日が見えず、本当にキツいことだと思う。でも、一つのことを信じて続けていたら、絶対に明かりが見えてくるから。オレだって、オヤジに対して“ノー”とは言えなかった。でも、それでも続けてきたから今があるんだ。やり通したら必ず何かが見えてくるから」
胸に沁みる言葉だった。この頃、心ないコーチやチームメイトから「駒田はノイローゼだ」と揶揄されていることは自分でもわかっていたからだ。王や原の期待を背負っていることはよく理解していた。「何としてでも成功させる」、その思いで必死にバットを振り続けた。
しかし、駒田は翌85年に一本足打法を断念することになる――。