甲子園の風BACK NUMBER
「えらい世界に来たな…」巨人ドラ1捕手がブチ当たったカベと重圧、戦力外「焦りが先行していました」東海大相模の監督で今、生かすこと
text by
大利実Minoru Ohtoshi
photograph byKyodo News
posted2024/07/09 11:00
巨人ドラフト1位指名された頃の原俊介
マウンドには中日の左腕・久本祐一。簡単にツーストライクと追い込まれたところで、自らタイムを取り打席を外した。
「一軍初打席で、満員の東京ドーム。緊張で足が震えて、まったくバットが振れなかったんです。タイムを取って、『おれは何をやってんだ。お前は何のために今まで野球をやってきたんだ!』と自分に言い聞かせました。次はボールが見えたら、とにかく振る。めちゃくちゃ詰まったんですけど、いい感じにインサイドアウトでバットが出て、ライト前へのタイムリー。あのヒットがなければ、次もありませんでした。プロで一番印象に残っている打席です」
翌日も代打で登場。中日の野口茂樹から東京ドームの看板に直撃するプロ初アーチを放ち、高校の大先輩である原辰徳監督から、「お前の野球人生は始まったばかりだ」と記されたホームランボールを受け取った。今も、実家に大切に飾ってある。
戦力外通告…焦りやネガティブな感情が先行していた
この年は40試合に出場し、打率.267、3本塁打、8打点の成績。翌年以降のさらなる飛躍に期待がかかったが、チャンスをモノにすることができず、2006年に戦力外通告を受けた。
うまくいったことよりも、うまくいかなかった経験のほうが圧倒的に多い。しかし、指導者になった今はそれが大きな財産になっている。
「現役時代の終盤は、『ここで打てなければファームに落ちる』とか『今シーズンで終わるかもしれない』という、焦りやネガティブな感情が先行していました。チームのことではなく、自分のことしか考えていない。それが指導者になると、ノーアウト二塁からのセカンドゴロが戦況を変える大きな意味を持つことがわかるようになって、現役時代もそこまで考えられれば良かったんですけどね。
代打で出ることも多かったので、強い打球を打つことばかり頭にありました。無死一塁の代打で、初球の変化球を引っかけてのゲッツーなんて、ベンチからすれば最悪ですけど、自分のことが第一にあるのでそれをやってしまう。もっと気持ちに余裕があれば、ライト方向を狙って、うまくいけば一、三塁を作ることもできたと思うんですが……、終わってからの反省がたくさんあります」
「巨人ドラフト1位」の肩書きだけ見ると、エリートにも感じるが、本人の中には「選手としてはうまくいかなかった」という気持ちのほうが強く残っている。
大きな転機が訪れたのは2016年、39歳になる年だ。
<つづく>