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「えらい世界に来たな…」巨人ドラ1捕手がブチ当たったカベと重圧、戦力外「焦りが先行していました」東海大相模の監督で今、生かすこと
posted2024/07/09 11:00
text by
大利実Minoru Ohtoshi
photograph by
Kyodo News
7年間、一軍出場がなく戦力外がちらつく中で
高校時代は強肩強打のキャッチャーとして注目を集め、1995年のドラフト会議で巨人から1位指名を受けた。当時、東海大相模から高卒1位でのプロ入りは初。周囲からの期待も、自分への期待も大きかったが、1年目の春季キャンプで圧倒的な力の差を感じた。
「えらい世界に来たな……と思いましたね。打つのも投げるのもレベルが違いすぎる。斎藤雅樹さんの球をブルペンで受ける機会があったんですが、スライダーがミットにかすりもせず、『お前、大丈夫か?』と心配されるほどでした。どうすれば、この世界で生き残れるのか。練習量だけでは追いつけない。答えはわかりませんでした」
必死に練習をして、ファームの中軸を任されるまでになったが、一軍の壁は厚かった。ファーストや外野も守り、出場機会を求めた。7年間一軍出場はなし。戦力外通告がちらつき始めた中、7年目のシーズンオフに単身でアメリカに渡り、フロリダ州にあるIMGアカデミーのトレーニングキャンプに参加した。今でこそ、アメリカでトレーニングをするのは珍しいことではないが、当時は稀。およそ3週間にも渡る武者修行だった。
「自分を変えなければいけない。勝負をかけなければいけない。その一心でした。はじめは通訳もいたんですけど、途中からは全部ひとり。朝から動き作りのプログラムがあって、みっちりトレーニングをやった結果、足がよく動くようになり、明らかに速くなったのがわかりました。バッティングをやると、今まで入らなかった右中間にもホームランが出る。体の動かし方が変わったことで、神経の伝達が良くなり、パフォーマンスが上がった。フィジカルによって、テクニカルが変わる。自分の野球人生を180度変えてくれた体験でした」
「もっと早く渡米していれば……」という気持ちも少なからずあったが、「それもまた人生」と受け入れている。
あのヒットがなければ、次もありませんでした
手応えを持って迎えた8年目の2003年。オープン戦で結果を残して、初めて一軍登録を果たすと、開幕2戦目の7回裏に代打で打席が回ってきた。