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ぶら野球BACK NUMBER
「ボクは巨人に裏切られた」球団批判で罰金200万円、コーチとの不仲…「負けろ、打たれろ」江川卓をライバル視した巨人“ドラフト外のエース”
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byKYODO
posted2024/05/04 11:03
1974年ドラフト外で巨人入りした西本聖
記者投票で入団時のいざこざから20勝達成の江川が避けられ転がり込んだ沢村賞には、同僚からの祝福の声はほとんどなかったという。チームの和を乱すヤツ、いつからか背番号26にはそんなレッテルが貼られるようになる。
「週刊読売」1984年3月25日号での中畑清との対談企画では、「オレがお前に言えるとすれば、自分を殺して他の連中の中に溶け込んでいけるような余裕を持ってほしいな」と諭された。
「野球に対する考え方はみんなが見習わなきゃいけない点なんだけど、人間関係になるとみんながもう一つ入っていけないという、何かワクがあるわけよ。プロだから一人でやりゃいいんだ。それは決して間違ってないけど、(ものすごく生真面目な顔になって)ただ、一人では勝てないよ」
いわばチームリーダーからの公開説教だ。連続二ケタ勝利が途切れた86年前後から、“一匹狼”西本への批判記事やトレード予想がメディアでは目立つようになる。さらに皆川睦雄投手コーチとの確執が表面化して、球団批判で罰金200万円が科せられた。その両者の険悪な関係を修復させようと、球団から“和解ゴルフ”を準備されるも、王監督の前では理解ある大人を演じ続ける皆川コーチの姿に怒りを通り越して呆れる背番号26。両者の関係はもはや修復不可能だった。
1987年限りで、王巨人の初Vを置きみやげに、その年13勝を挙げたライバルの江川が電撃引退。32歳の西本も88年はたったの4勝に終わり、桑田真澄や槙原寛己ら若手も台頭してきた。世界の王は去り、復帰した藤田元司新監督は新世代の投手王国を作ろうとしている。なぜもっと投げさせてくれない? オレの働き場所はもうないのか……。もはや反骨の右腕・西本の怒りの炎は消えかかっていた。
◆◆◆
だが、男の運命なんて一寸先はどうなるか分からない――。
1988年オフ、同リーグの中日ドラゴンズへの移籍が決まるのだ。巨人で通算126勝を挙げた西本に加茂川重治を加えた、中尾孝義との2対1の交換トレードだった。
<続く>