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武豊が惚れ込んだ“消えた天才”…あの超良血馬はなぜ勝てなくなったのか?「エアグルーヴにそっくりな弟」が地方競馬で迎えた“悲しい結末”
text by
島田明宏Akihiro Shimada
photograph bySankei Shimbun
posted2024/02/13 11:00
2002年、若駒ステークスで無傷の3連勝を決めたモノポライザー。武豊が惚れ込んだ超良血馬には、輝かしい未来が待っているはずだった
「エアグルーヴに“アレ”をつけたような…」
陣営が次走として狙ったのは、当時、武がまだ勝っていなかった朝日杯フューチュリティステークスだった。
「初戦はいい内容のレースでした。2戦目でいきなりGⅠ勝ちというのは常識的には厳しいでしょうが、狙っていくつもりです」
武はそう話していたのだが、賞金不足で朝日杯出走は叶わず、前日の500万下に出走。のちに重賞を2勝するメガスターダムを余裕たっぷりにかわして2勝目を挙げた。武は、この勝利によってクラシックを狙える馬であることを確信したという。
当初、年明け初戦はシンザン記念の予定だった。しかし、「目指すところはマイルではない」と考えていた武の進言により、2000mの若駒ステークスになった。ここも、武が手綱を持ったままで差し切った。これまでの3戦すべてがノーステッキで、上がり3ハロンはメンバー最速という、とてつもなく強い走りを見せつけた。
「三冠を獲り損ねた」とまで言ったダンスインザダークと同じ厩舎のモノポライザーでの三冠獲得の可能性について問うと、武はこう答えた。
「ぼくの印象をそのまま言うと、モノポライザーが三冠を獲っても何ら不思議ではないと思っています。だけど、それでも難しいのが競馬ですからね。相手もいるし、そんなに甘いものじゃないことはよくわかっているつもりです」
一度もステッキを入れなかったのは、合図としての鞭が必要なく、ほかの扶助でゴーサインだと理解してくれるからだという。走り方も、鞍上から見た耳や首もエアグルーヴとソックリで、「エアグルーヴに金玉をつけたような感じ」と表現していた。
「反応がいいし、すごい切れ味で、乗っていて気持ちがいい」と、のちにディープインパクトにあてるのと同じような言葉で絶賛するほど惚れ込んでいた。
熱発で弥生賞回避、武豊の落馬負傷…狂い出した歯車
次走は弥生賞になる予定だったが、熱発のため回避。思えば、ダンスインザダークも熱発で皐月賞を回避するなど、春は体調が整い切らない時期もあった。
さらに、もうひとつのアクシデントが重なる。若駒ステークスの翌月、2月24日、中山でのレース中に武が落馬して骨折、骨盤を数カ所骨折する重傷を負ったのだ。当初は全治3~6カ月と診断されたが、驚異的な回復力を見せ、本人はモノポライザーでの皐月賞騎乗を目指していた。しかし、ギリギリ間に合わず、後藤浩輝が代打をつとめることになった。