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武豊が惚れ込んだ“消えた天才”…あの超良血馬はなぜ勝てなくなったのか?「エアグルーヴにそっくりな弟」が地方競馬で迎えた“悲しい結末”
posted2024/02/13 11:00
text by
島田明宏Akihiro Shimada
photograph by
Sankei Shimbun
◆◆◆
サラブレッドにも「消えた天才」はいるのか。そう問われて、まず脳裏に浮かんできたのはこの馬だった。
モノポライザー。
女傑エアグルーヴの半弟である。2001年の秋から翌02年にかけて、武豊を背に、デビューから無傷の3連勝を遂げた。3戦ともノーステッキでの完勝だった。
スケールの大きな走りで、いくつもの夢を見せてくれたこの逸材には、輝かしい未来がひらけているはずだった――。
名伯楽が武豊に言った「うちの一番の期待馬だよ」
モノポライザーは、1999年4月4日、ノーザンファームで生まれた。
父は1995年から2007年まで13年連続リーディングサイアーとなったサンデーサイレンス。母はオークス馬ダイナカール。
半姉のエアグルーヴ(父トニービン)は1996年のオークスを勝ち、翌97年には天皇賞・秋などを制して年度代表馬となった。
「超」をいくつつけてもいい良血のモノポライザーは、エアグルーヴより6歳下で、母の最後の産駒である。
サンデーレーシングの所有馬となり、管理するのは、栗東に厩舎を構える伯楽・橋口弘次郎調教師(当時)だった。そして主戦騎手は武豊。
橋口と武というと、1996年の日本ダービーで2着に惜敗したダンスインザダークが思い出される。菊花賞で雪辱したが、武が「三冠を獲り損ねた」と話したほど大きな期待を寄せていた大物であった。
デビューを控えたモノポライザーについて、橋口は武にこう言った。
「うちの一番の期待馬だよ」
調教に跨った武は、「なかなかいい馬だな」「エアグルーヴによく似ているな」と好感触を得た。それが大きな期待に転じたのは、2001年11月4日、京都芝1600mの2歳新馬戦の返し馬に出たときだった。
――うわっ、これは走りそうだ。
武のその思いに応え、モノポライザーは好位から抜け出し、2着のファビラスキャット(秋華賞馬ファビラスラフインの娘)を軽く1馬身1/4突き放して勝利をおさめた。