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「後の日本王者が3人、箱根駅伝で区間新が2人」福島・学法石川高“奇跡の世代”誕生のウラ話…「ロードは走らない」超特異な練習スタイルのワケ 

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和田悟志

和田悟志Satoshi Wada

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posted2024/01/20 17:00

「後の日本王者が3人、箱根駅伝で区間新が2人」福島・学法石川高“奇跡の世代”誕生のウラ話…「ロードは走らない」超特異な練習スタイルのワケ<Number Web> photograph by AFLO

遠藤日向(左)や阿部弘輝(右)ら名選手が揃い、まさに「奇跡の世代」だった2015年の学法石川高。彼らの成長の裏にあったものは…?

 中学時代は野球部だった田母神は、陸上では特筆すべき実績がなかった。だが、田母神の母校の教諭だった松田の妻の勧めで学法石川に進学した。

「中学は特設の陸上部だったので、本格的な練習をやったことがありませんでした。ガクセキは朝40分間、4分/kmで10kmの集団走を行って基礎を作っていくんですけど、初めて練習に参加したときは『きつかったけど、こんなもんか』と思ったんです。でも、それが毎日だと聞いて衝撃を受けました。実際に入学してみると、男子の練習には全く付いていけませんでした」

 入学当初に“5000m14分台”と“全国大会出場”を目標に掲げたものの、当初は女子と一緒に練習をしていたという。後に得意種目となる800mも、新人戦にどうにか出場するためにはじめた種目で、初レースでは2分5秒もかかった。その2年後に世界ユースの日本代表になるとは、当時は誰も想像しなかったのではないだろうか。

 阿部もまたガクセキで強くなった代表格だ。

 中学時代は同じ須賀川市の相澤になかなか勝てなかった。それでも、高校3年間大きなケガをすることなく、こつこつと努力を重ね、3年時には5000mでインターハイ決勝に進出するまで力を付けた。

「中学の時には勝てなかった相澤にようやく勝てるようになったと思ったら、下の学年に日向が入ってきて。国体の代表なども全部持っていかれてしまった。追いかけてきた選手をやっと追い越せたのに、また越さなければいけない選手が出てきました。それに、日向と田母神が世界大会に行っているのを見て、悔しいなって思いましたし、自分も負けてはいられないという気持ちになりました」

 身近なライバルたちの存在は、阿部に大きな影響を与えたのだろう。

“奇跡の世代”を作り上げた「独自のトレーニング」

 田母神や阿部が驚異的な成長を見せた裏には、ガクセキ独自の練習カラーが大きく影響している。松田の指導方針は、他のいわゆる“駅伝強豪校”とは明らかに異なる。

 松田の指導者としてのキャリアはこの学法石川からスタートした。

 就任当時、松田の前に立ちはだかったのが福島県内の強豪・田村高だった。県内の有力選手の多くが、全国大会常連である田村高に進学する状況だったため、スカウト面で苦労した。

「田村高の練習は“量”をやると聞いたので、差別化するためにもうちはスピード系の練習をメインにやっていることをアピールしました」

【次ページ】 ロードはほとんど走らず、スピード重視のスタイル

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