箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
「後の日本王者が3人、箱根駅伝で区間新が2人」福島・学法石川高“奇跡の世代”誕生のウラ話…「ロードは走らない」超特異な練習スタイルのワケ
text by
和田悟志Satoshi Wada
photograph byAFLO
posted2024/01/20 17:00
遠藤日向(左)や阿部弘輝(右)ら名選手が揃い、まさに「奇跡の世代」だった2015年の学法石川高。彼らの成長の裏にあったものは…?
再び強化が始まったのは、実業団を辞めた酒井が同校教諭に着任してからだ。酒井の在職中には全国の舞台に届かなかったものの、しっかりと土台は築いた。そして、いまから15年前の2009年4月に現顧問の松田和宏が酒井から顧問を引き継ぐと、就任3年目の2011年に田村高を破って18年ぶりに全国の切符を掴んだ。13年には初の8位入賞も果たしている。
この13年に1年生だったのが、阿部や田母神、相澤の学年だった。
「先輩たちが駅伝で走る姿がかっこよかった。なおかつ、都大路の入賞が県内で大々的に報じられるのを見て、駅伝に対しての憧れは大きかったです。ガクセキに入ったからには、駅伝のメンバーに選ばれて全国大会で活躍する。それが僕たちの中で大きな目標となりました」
駅伝での全国入賞はこれが初めてだったが、田母神が当時をこう振り返るように、先輩たちが結果を残したことで、彼らの目線も自然に高くなっていた。
「日本一を目指すのが当たり前」という環境
そこに中学時代に全国で無類の強さを誇った遠藤が入学してきた。
「中学で日本一になった日向が鳴り物入りで入ってきて、みんな“日本一を狙うのが当たり前”という目線になっていった。日向って天才なんですけど、チームの中で一番努力していました。ジョグのスピードも速かったですし、例えば300m×20本のインターバルでは、終わった後に自分で10本追加したりしていました。“全国で勝つ”というのはこういうことなんだって教えてくれましたね。僕たちは、日向にすごく刺激されました」
同じ郡山市出身の田母神にとって、1学年下とはいえ遠藤は憧れの存在であり、競技への向き合い方は手本になったという。
監督の松田も遠藤の入学でチームの変化を感じ取っていた。
「日向が入ってきて、チームの雰囲気が変わりましたね。彼は強気ですし、先輩に対してもものを言う子だった。そういった部分が刺激となって、練習でも緊張感を持ってやっていましたね」
こうしてまた、チームは一段高い目標に向かっていくことになった。
今でこそ、学法石川には近隣を中心に全国から選手が集まる。だが、2015年当時の主力選手は全員が福島県内の出身だった。さらに、中学時代に全国大会に出場していたのは相澤と遠藤しかいない。つまりは、多くの選手が学法石川で力を付けたということだ。
田母神がその好例だろう。