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青学大、中大、國學院大…箱根駅伝の強豪校でなぜ「体調不良」が続出? 箱根の元ランナーが考えた理由「過酷な部内の競争」「メディア対応で…」
text by
酒井政人Masato Sakai
photograph byNanae Suzuki
posted2024/01/15 06:00
東京農業大学の1年時に箱根駅伝(1996年、10区)を走った筆者が考える、強豪校で体調不良者が続出した背景とは?
「インフルエンザがあと1週間遅かったら多分ボロボロだったと思う」と前田監督が漏らしていたように、体調不良者続出のタイミングがズレていたら、箱根駅伝の結果はまったく違うものになっていたはずだ。
昨年優勝時の駒澤もじつは体調不良の選手がいた
思い返すと、前回大会で総合優勝に輝いた駒大が本番の数日前に“外敵”に襲われていた。スーパールーキーの佐藤圭汰(当時1年)と、全日本大学駅伝8区区間賞の花尾恭輔(当時3年)が胃腸炎でダウンしたのだ。
駒大は昨年11月の全日本大学駅伝で4連覇を果たした。そのとき箱根駅伝に向けての課題を聞いたが、大八木弘明総監督の言葉が印象に残っている。
「弱点はありますよ。まだ選手層がちょっと薄い。箱根は15人ぐらい、誰を使ってもいいような選手層を揃えないといけません。前回は佐藤と花尾がいなくてもカバーできた。まだそこまでの選手層にはなっていませんよ」
箱根駅伝に出走できるのは10人だが、駒大は直前の離脱者を“計算”したうえで、チーム作りをしているのだ。
選手たちの「免疫力」が低下している
それにしても上位候補になぜ体調不良者が続出したのだろうか。箱根駅伝に出場経験のある筆者が真剣に考えてみた。
筆者が東京農業大学の学生時代だった1990年代後半は12月に合宿をするチームは多くなく、当時のエントリー数は最大14人で、現在の最大16人より2人少なかった。そのため12月10日のエントリー後は練習のギアを上げることなく、14人の選手を慎重に調整させていた印象がある。当時は他校含め、箱根駅伝の前に集団感染が続出していたケースはさほどなかったように記憶している。