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「鎮痛剤を飲みながら毎日投げていた」甲子園優勝投手→JR東日本で野手転向、日大三エースはひっそりと野球を辞めた…吉永健太朗が明かす「その後」の人生 

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内田勝治

内田勝治Katsuharu Uchida

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posted2023/12/25 06:05

「鎮痛剤を飲みながら毎日投げていた」甲子園優勝投手→JR東日本で野手転向、日大三エースはひっそりと野球を辞めた…吉永健太朗が明かす「その後」の人生<Number Web> photograph by JIJI PRESS

2011年、日大三のエースとして甲子園優勝投手となった吉永健太朗。その後の野球人生を振り返ってもらった

「今は一般的な人材紹介の仕事をやらせていただいているので、ゆくゆくはスポーツ事業で、スポーツ選手のキャリアであったり、あとは教育であったり、組織構築とかにも携わっていきながら、スポーツ界に貢献できるようにやっていきたいです」

「痛みのない」あるスポーツに挑戦

 新たな夢もできた。今年9月。野球を原型として考案されたスポーツ「Baseball5(ベースボールファイブ、以下B5)」のチーム「Hi5 Tokyo(ハイファイブトウキョウ)」を立ち上げた。B5は、基本的なルールは野球やソフトボールと同じだが、ゴムボールのみを使用し、1試合5イニング、男女混合の1チーム5人制でプレー。投手や捕手はおらず、5人で内野を守り、打者自らがトスを上げ、手で打つ。守備、攻撃ともに素手で行うので、グラブやバットといった高価な道具は必要なく、塁間も13メートルと狭い場所でも手軽にできるため、世界70カ国以上で広まりをみせている。

 今夏、日大三で同級生だった宮之原(たける)さんに誘われ、初めてB5をプレーしたことが、自分のチームを作るきっかけとなった。宮之原さんはB5日本代表として、昨年行われた「WBSC Baseball5ワールドカップ2022」で準優勝を経験した実力者。所属する「5STARs(ファイブスターズ)」の練習に参加したところ、その魅力の虜になった。そもそも投手というポジションがないので、右肩を酷使することはない。打撃も打点が肩から下なので負担も少なく、痛みが出ることもなかった。

目標は日本一、世界一

「オーバースローだと肩が痛いですけど、ベースボールファイブはスナップスローで一塁まで届くし、打撃も全力で振ることができます。全力でできる面白さっていうところが嬉しいですね」

【次ページ】 甲子園優勝投手という肩書ってやっぱり凄い

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