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青山敏弘「ここが僕のホーム。拍手は宝物」引退・林卓人も感謝、森保一はアジア杯や監督で栄冠…サンフレッチェ広島とビッグアーチの“幸せな31年間”
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byJ.LEAGUE
posted2023/11/27 11:01
今季ホーム戦終了後の青山敏弘と林卓人。サンフレッチェ広島にとって「ビッグアーチ」はずっと幸せで大事な関係だった
初優勝を決めた2012年のセレッソ大阪戦やチャンピオンシップを制した15年のガンバ大阪戦だけでなく、風間八宏、高木琢也、森山佳郎、久保竜彦、藤本主税、ウェズレイ、佐藤寿人……らの鮮やかで、豪快なゴールシーンも流された。サンフレッチェのファン・サポーターだけでなく、往年のJリーグファン、古株のメディア関係者にとっても、記憶に残る名場面だろう。
ビッグアーチと言えば92年アジア杯とサンフレ勢の活躍
広島ビッグアーチの思い出として、個人的には高校生時代にテレビの前で熱くなった92年のアジアカップ広島大会を加えたい。
高木琢也の胸トラップからのボレーシュートでサウジアラビアを1-0で下し、アジア初制覇を成し遂げた決勝の舞台が、ここだった。
この試合ではGK前川和也も先発してサウジアラビア攻撃陣の前に立ちはだかり、森保は決勝こそ出場停止だったが、北朝鮮戦、イラン戦で広島ビッグアーチのピッチに立つなど、地元サンフレッチェ勢が大活躍した大会だった。
今に至るまでの日本代表の躍進は、紛れもなく広島ビッグアーチから始まったものだ。
森保監督は試合後、瞳を潤ませながら、こんなふうに語った。
「選手として、指導者として、ここで色々な思い出を作らせてもらいました。試合運営に携わってくださったすべての方々と、このスタジアムに感謝しています」
「僕のホームはここ」、そして「新スタジアムに立つ」
最後までミックスゾーンで取材に応じていた青山は、エディオンスタジアム広島との別れに関して「実感は湧かないね」と答えた。
「ホームスタジアムが変わっても、僕のホームはここなんですよね。自分が育ち、成長してきた場所なので。自分の物語がここには詰まっている。今日もその1ページが刻まれた」と思い出を大事そうに心にしまって、こう言った。
「新スタジアムに立つんだという目標が今、できました。それをこの場で宣言します」
広島ビッグアーチはサンフレッチェ広島のホームスタジアムという31年間の大役を終え、プロ3年目でそのピッチに立ったバンディエラは、新たな誓いを掲げた。
在籍14年の守護神は、前川和也、下田崇、西川周作と引き継がれてきた伝統の1番のユニフォームを、自らの手で17歳下の後輩に渡した。
ひとつの時代の終わりは、新しい歴史の始まりでもある。