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青山敏弘「ここが僕のホーム。拍手は宝物」引退・林卓人も感謝、森保一はアジア杯や監督で栄冠…サンフレッチェ広島とビッグアーチの“幸せな31年間”
posted2023/11/27 11:01
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph by
J.LEAGUE
スポーツは“筋書きのないドラマ”と言われるが、ここまでシナリオ通りに進んだゲームも珍しい。
11月25日に行われたガンバ大阪戦は、サンフレッチェ広島に関わるすべての人にとって特別なゲームだった。
31年間ホームとして使用してきたスタジアムとのお別れ――。
サンフレッチェは来季から、念願のサッカースタジアム「エディオンピースウイング広島」をホームにすることが決まっている。
1992年に開場し、「広島ビッグアーチ」の愛称で親しまれてきた現ホームの「エディオンスタジアム広島」のラストゲームに約3万人が来場し、スタンドの9割が紫色に染まった。
森保監督、佐藤寿人、森﨑兄弟、駒野も集結した
訪れたのは、サンフレッチェを愛するファン・サポーターだけではない。
サンフレッチェOBである森保一監督が――選手視察という日本代表監督の公務としてだが――訪れていた。カタールW杯で森保監督の右腕を務め、自身も選手・指導者としてサンフレッチェで過ごしたジュビロ磐田の横内昭展監督もプライベートで足を運んでいた。
さらには、テレビ中継の解説者として、クラブのレジェンドである佐藤寿人とアカデミーコーチの駒野友一の姿もあったし、森﨑浩司はいつものようにDAZNで解説を務め、和幸は記者席から旧知の記者とともに観戦していた。
このゲームがどれだけ特別なものかは、来日2年目となるドイツ人指揮官も理解していた。サンフレッチェひと筋20年のバンディエラ、37歳の青山敏弘を今季初めてスタメンで起用したのである。
「前回のホームゲーム(10月21日のセレッソ大阪戦)のあとに監督に呼ばれて、『アオ、最後は行くぞ』って言っていただきました。そのときは、涙がこぼれましたね」
誰よりも居残り練習に励んだ青山を、監督は見ていた
昨季、ミヒャエル・スキッベ監督が就任すると、青山はスタメンから外れるようになった。今季に至ってはベンチ入りすることのほうが珍しく、リーグ戦では4試合とも途中出場。記録上は合計4分しか出場していない。
もっとも青山は、そんな不遇を受け入れていた。