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「東京六大学で岡田彰布を超えた東大生がいた」東大野球部→三菱商事→上場企業社長のスゴい人生「あ、入る会社を間違えたな…」就職人気企業で感じた挫折
text by
沼澤典史Norifumi Numazawa
photograph bySankei Shimbun
posted2023/11/26 17:25
写真は今年の東大野球部。エースの松岡由機投手(4年)
「負けたら、もう生きていけない…」
その後も榊田はプラント畑でキャリアを重ね、30代で中国の大型案件に従事した頃には、プロジェクトマネージャーとして多くの部下を統べるようになった。
「山崎豊子さんの『大地の子』では、日本の協力で中国の上海に製鉄所が建設されるプロジェクトが描かれていますが、私はまさにあのモデルになった上海宝山製鉄所の案件に関わっていました。会社で偉くなると、動かす人間の数は増えるし、見えてくる景色が大きく変わります。それは面白いことなんですけど、利益や損失についての採算責任を課されますから、大変なストレスも感じていました。競合との受注勝負で負けたら、もう生きていけないと思うほどの場面もありましたね」
プラント事業は、数百億円から数千億円というお金が動く大事業だ。大人数でのチーム戦になるが、それを統括する立場であれば、並のプレッシャーではない。しかも大きなプロジェクトとなれば、企業同士の戦いの枠を超えて、国家が乗り出してくることもある。
「1980年代、中国では印象深い負けがあったと聞きました。上海での案件をドイツ企業と競ったときです。オールジャパン対オールドイツの様相で、ドイツはプラントを受注する代わりに中国に武器を販売するとか、自動車のジョイントベンチャーを作るとか非常に政治的な交渉をしてきました。日本政府は、そのようなことは絶対にしませんから、我々は正攻法で、技術力や納期の短さ、ファイナンスの優位性などをアピールするしかない」
これでは日本企業はあまりにも不利だが、そこも含めて勝ちを探るのが、三菱商事なのだ。
「結果的にドイツには負けてしまいましたが、相手がそういうしたたかな交渉に出てくる前の段階で、いかにお客さんと手を握るかが重要なんだと感じました。ただ、負けは負けですから、上からは『責任を取れ』みたいな話にはなります。大きなプロジェクトだと、ものすごいマンパワーとコストもかかっているので、受注できないとそこで大損を出すわけですからね」
「楽そうに見える部署はありましたよ」
自分の努力や能力がおよばない範囲にまで頭を巡らせて戦い、それでいて結果責任は容赦なく問われるのだから、海外でのプラント建設は、厳しい仕事である。三菱商事には榊田の主戦場だった「産業インフラ」のほか、「天然ガス」「金属資源」「食品産業」など、いくつもの事業セグメントがあるが、もっとリラックスできる部署への異動は考えなかったのだろうか。