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「東京六大学で岡田彰布を超えた東大生がいた」東大野球部→三菱商事→上場企業社長のスゴい人生「あ、入る会社を間違えたな…」就職人気企業で感じた挫折
text by
沼澤典史Norifumi Numazawa
photograph bySankei Shimbun
posted2023/11/26 17:25
写真は今年の東大野球部。エースの松岡由機投手(4年)
「2年の春と秋、3年の春と、1回も勝てていなかったので、当時は本当に辛かった。3年秋に慶應に1勝し、連敗を止めたことが、大学野球で最も印象深いです。4年の春は早稲田に2勝、秋は立教に1勝していますが、最下位から脱出できなかったことが悔やまれます。しかも私は野口裕美投手(元西武ライオンズ・立教)が当時記録した戦後のシーズン最多奪三振数更新のバッターなんです。『野口裕美、六大学野球の記録更新!』なんてニュースの際には、必ず私の三振が映ったものです。ただそれでも、4年間よく野球を続けたなと我ながら思います。高校3年間のブランクがありながらも、やめずに続けたのは胸を張れることではありますね」
「あ、入る会社を間違えたな」
もっとも、これだけ野球に打ち込んでいれば、工学部応用化学科の高度な勉強の時間はとれず、野球好きの教授に頼って単位を取るだけで精一杯。公務員試験の準備をする暇もないため、民間企業への就職を目指す。
「応用化学のことを聞かれてもわかりませんから、学部はどこかと尋ねられるたびに、『東大野球部です!』と返すしかない学生でした。ただ、勉強面では他学生に劣るものの、体力だけは自信があったので、国内外あらゆる産業の仕事をしている商社なら、自分の力を発揮できるのではないかと思いました。そこで、先輩も在籍しており、理系出身者や体育会系出身者も多かった三菱商事を受けたんです」
とんとん拍子で三菱商事への入社が決まり、当時の花形部署であったプラント系の部署へ配属された。だが、出社早々から打ちのめされたという。
「『あ、入る会社を間違えたな』というショックですね。大学時代は野球しかやっていない新人ですから、事務作業やビジネスのことなんてまったく知りません。それに引き換え、周りの人たちはみんな頭が切れて、営業力もあり、スマートでかっこよくテキパキと仕事をこなす。スーパーマンに見えるんですよ。ついていけず、この会社はもう無理だなと何度も辞めようと思いました」
“なんでも屋”…トイレの修理もご飯の調整も
この壁は、野球部をやめようと思いつつも4年間踏ん張った東大時代を思い出して乗り越え、そして数年。会社になじんできた頃、榊田は海外プラントの現場に派遣された。
「入社5年目で韓国のプラントに行き、現場の管理を2年間、また現地での営業活動を2年間やりました。現場のアドミ責任者でしたが、要は“なんでも屋”です。エンジニアの宿の手配やトイレが詰まったと言われれば修理の手配、飯がまずいと言われれば、なんとかするのも私の役割。営業経験も含めて、現場に密着した仕事は非常に自分の力になりましたね」