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江川卓のナゾ…“普通ならありえない”ストレートを受けた名捕手「本当にホップしていた」怪物が顔色を変えた“岡田彰布と原辰徳”「伝説の対戦」
posted2023/08/28 11:03
text by
岡野誠Makoto Okano
photograph by
JIJI PRESS
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「理論上ありえないと言われますけど、本当にホップしていたんですよ。打者がベルト付近のボールだと思って振ると、浮き上がってくる。だから、高めのストレートを空振りしてしまう。3年の時が一番速かったかな。回転数が多くて、160キロぐらい出ていたと思います」
法政大学で2年生の時からバッテリーを組んできた袴田英利は江川卓のストレートをこう証言する。ロッテで村田兆治や伊良部秀輝などの剛速球を受けてきた名捕手は、擬音で表現した。
「卓は打者の手元でパーンと伸びてくる。村田さんや伊良部も速くて重かったけど、ポーンと来るようなストレートでした。卓のような球質のピッチャーはいなかったですね。僕が見た中では、西武時代の岸(孝之)が調子のいい時、似たようなボールを放っていました。スピードがあまりなくても、バッターはすごく速く感じる。結構伸びていたんですよ」
「動けるのかな?」受験勉強後の江川
作新学院高校の江川は“怪物”の異名に相応しかった。公式戦でノーヒット・ノーラン12回、完全試合2回。甲子園では3年春に2試合完封、計4試合で60奪三振。夏の初戦は23三振(延長15回)を奪った。栃木県大会では、相手チームがバットに当てるだけで歓声が上がるほど無敵だった。袴田が言う。
「そのままプロに入っていたら、すごい成績を残したでしょうね。本人は高校の時が速かったと言ってました」
1974年、袴田は静岡の自動車工業高校から法政大学に入学。一方、中学3年の秋に初めて早慶戦を観に行った江川はその魅力に取りつかれ、阪急ブレーブスのドラフト1位指名を断り、慶応大学の法学部、文学部、商学部を受験。しかし、合格には至らず、同じ東京六大学リーグに所属する法政大学の法学部第二部に入学した。
「(川崎市木月の)合宿所で初めて会った時、だいぶ体が大きかったんですよ。これで動けるのかなと思いました」