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ヤクルト配達に八百屋、北新地のバーでも…大阪桐蔭吹奏楽部の“カリスマ”梅田隆司監督の波乱万丈すぎる半生と「野球部愛」の原点〈人気ブラバン徹底解剖〉
posted2023/08/22 11:02
text by
梅津有希子Yukiko Umetsu
photograph by
Haruka Sato
毎年、甲子園のスタンドで抜群の存在感を誇る大阪桐蔭吹奏楽部。「部活」の域を飛び越えたハイレベルな活動の原点には、抜群のカリスマ性を誇る吹奏楽部監督・梅田隆司氏(京都文教短期大学客員教授)の奮闘があった。〈大阪桐蔭ブラバン徹底解剖・全3回の#2/#3を読む〉
そもそも、大阪桐蔭高校吹奏楽部は、野球応援のために2005年に創部された。野球部は1991年春に甲子園初出場。同年夏に初優勝という快挙を遂げる。その後2002年夏に甲子園出場を果たすが、当時は吹奏楽部がなかったため、他校の吹奏楽部が友情応援を担当していたのだ。
野球少年だった梅田監督
吹奏楽部監督の梅田隆司氏は、中学校の教員を経て、創部翌年の2006年に監督就任。憧れの音楽教員になり、吹奏楽部顧問を担当することになったのは27歳の頃だった。野球好きの家に育ち、自身も野球少年だったという梅田氏は、なぜ音楽の道に進んだのか。
「子どもの頃から野球が好きで、親父も弟もやっていました。小学校の頃は、週末になると地元の扇町公園で少年野球。家族全員ガチガチの阪神ファンでしたが、僕は左利きやったので、巨人の王選手が好きで、1人だけ巨人ファン(笑)。中学でも野球部に入りましたが、体も小さかったので限界を感じ、応援する側の吹奏楽部に転向したんです」