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ヤクルト配達に八百屋、北新地のバーでも…大阪桐蔭吹奏楽部の“カリスマ”梅田隆司監督の波乱万丈すぎる半生と「野球部愛」の原点〈人気ブラバン徹底解剖〉 

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梅津有希子

梅津有希子Yukiko Umetsu

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photograph byHaruka Sato

posted2023/08/22 11:02

ヤクルト配達に八百屋、北新地のバーでも…大阪桐蔭吹奏楽部の“カリスマ”梅田隆司監督の波乱万丈すぎる半生と「野球部愛」の原点〈人気ブラバン徹底解剖〉<Number Web> photograph by Haruka Sato

部活専用のシンフォニックホールで行う大阪桐蔭吹奏楽部の練習風景 

苦労の末、23歳で音大へ…

「ピアノの仕事でお金を貯めて、23歳で大阪音楽大学の声楽科に入りました。音大はお金がかかるので、在学中の4年間もその仕事を続けて、計7年やりましたね。晴れて教師になったのが27歳。大阪の中学校で、憧れの音楽の先生になり、やりたかった吹奏楽部の顧問を担当することに。クラブ活動が一番楽しかったですね。統廃合で現在はなくなりましたが、最初は母校の扇町中学校に勤務。その後、港中に10年。次の生野中と、その次の城陽中時代に全日本吹奏楽コンクールに出場しました」

 中学校勤務時代に全国大会に出場した手腕を買われ、大阪桐蔭から声がかかった。公立から私立の学校への移籍とあって、当初は迷いもあったというが家族の理解も得て2005年夏に決断。すると、「梅田先生のもとで吹奏楽がやりたい」と、約60人の中学生が翌春入部してきた。

 野球応援のために創部された吹奏楽部だったが、当初から吹奏楽コンクールの全国大会出場という目標もあったのだろうか。

「もちろんそれもありました。当時の校長からは、たしか『3年で全国にいくように』といわれた記憶がありますが、赴任した年にいきなり出場したのでびっくりしていましたね。ご褒美に4トンロングの楽器運搬用トラックを買ってもらい、今でも大切に使っています」

「常に全員で演奏」を大切に

 2006年の初出場にはじまり、その後毎年のように全国大会に出場。2023年現在、計13回出場し、5度の金賞に輝いている。

「僕の就任当初の目標は、1つが『歌う吹奏楽部』。2つ目が、『より多くの方々に勇気を届ける音楽活動を』。そして3つ目が、『常に全員で活動しよう』。コンクールは定員55人と決まっているので仕方ありませんが、それ以外の活動は常に全員で演奏することを大切にしています」

 人数の多い吹奏楽部の場合、コンクールと日程が重なりがちな野球応援は、「コンクールメンバー以外が担当する」というケースも少なくないが、大阪桐蔭は全員で駆けつける。年間100公演ある演奏会も、常に全員で心を込めて演奏する。

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