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「国民が求めています。もっとやりましょう」カンボジアサッカーを変えた本田圭佑に足りなかったのは契約条件? それとも情熱?
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田村修一Shuichi Tamura
photograph byJIJI PRESS
posted2023/08/08 17:02

2018年8月12日、カンボジア代表のGMに就任し、同国サッカー協会のサオ・ソカ会長と会見に臨んだ本田。退任時の会見はなかった
——最初のプランはU22代表のリーグ参加でした。
斎藤 日本でもJリーグU22選抜がJ3に参加したり、そんな感じで年間を通じてシーゲームスに向けてずっとやろうと本田さんが言ったけど、クラブから凄い反対を受けました。
——最後の結果が悪かったから批判も強くなった。
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斎藤 シーゲームスは、言い訳なしに結果を残さないといけない大会だった。2013年から協会会長が目標にしていて、勝ちたいと誓ってもいた。私自身はその後8年ぐらいは何もしなかったですが(笑)。でも国の行事だったんです。
本田さんがもっとカンボジアに居てくれてたら、変わっていたかも知れない。その結果駄目だったら、やることはやったのだから仕方がないと言えた。そのことを本田さんと話したら、契約でそうなっていない。FIFAマッチデーだけ来ればいいと。
「国民が求めています。もっとやりましょうよ」と言っても、結果を見て欲しい。今のままで大丈夫だからと言われた。そのまま大会を迎えて、選手としての実績もあるし「持っている人」という印象もあって……。だからいろいろあっても、最終的には準決勝まで行ってくれるという期待がありました。
でも思い返せば、フェリックスがいなくなった時点で考え直すべきだったかもしれない。結局のところ選手との距離が縮まっていなかった。選手からしたら本田さんは雲の上の存在で……。
いろいろな監督がいていいと思うんです。とはいえ選手たちは若く、カンボジア以外の経験がないので、どうしたらうまくなるかをもっと教えて欲しかった。勝ちたい気持ちはあったけど、モチベーションの持ち方も日本人とは違った。
リーグを変えた本田GMの功績
——何かが変わったところもありますか?
斎藤 カンボジア人は身体が小さいし線も細い。ロングボールをやっても駄目だということで、2018年に来たときはポゼッションフットボールを志向しました。それは良かったと思うんです。失敗してもいいから後ろから繋ごうと。実はそれが本田さんが来ての一番の功績で、クラブチームも——カンボジアプロリーグ(CPL)の試合を見ていただければわかりますが、みんな繋ごうとしています。
しかしシーゲームスでは真ん中で繋ごうとせずに、サイドからのロングボールを逆サイドに振って1対1で突破しようとする。もっとできるハズなのに、戦術的なところも含めて良かったとは思えない。
——カンボジア人のメンタリティとして、ひとつのことを言われるとそればかりにこだわって他を忘れてしまう。
斎藤 それを理解したうえでマネジメントしないといけない。本田さんはそこまで求められていたと思うんです。カンボジアを強くして勝たせることを任せられた。カンボジア人のせいにするのではなく、自分のマネジメント力がなかったから負けた。私も同じで、部下ができなかったのは、自分の教え方が悪かったし伝え方が悪かった。システム化すればいいんです。それが出来ていないから、カンボジア人の能力のせいにする。ちょっと違うかなと思います。