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「ミルコをKOし、ヒョードルをぶん投げた男」ケビン・ランデルマンを覚えているか? “伝説のバックドロップ”を撮ったカメラマンの追憶
posted2023/04/22 17:00
text by
長尾迪Susumu Nagao
photograph by
Susumu Nagao
みなさんはケビン・ランデルマンのことを覚えているだろうか。
試合前のリング上でピョンピョンと高く飛び跳ねるパフォーマンスを見せ、「リアル・ドンキーコング」というニックネームで親しまれた、あのランデルマンだ。寝技の対処やスタミナ配分などに難はあったものの、身体能力の高さとスピードは飛び抜けていた。生涯成績は33戦17勝16敗と物足りないが、間違いなく記録よりも記憶に残る格闘家だった。
とりわけ2004年のPRIDEグランプリ開幕戦でミルコ・クロコップをKOした大番狂わせと、その次戦でエメリヤーエンコ・ヒョードルを脳天から投げ落としたシーンは、今でもファンの間で語り草になっている。
2005年に肺の手術を受け、その後は復帰と入退院を繰り返した。そして2016年2月11日、44歳の若さで帰らぬ人となった。彼が他界した2カ月後、RIZINでは追悼セレモニーが行われ、2020年にはUFCの殿堂入りを果たした。
ジャッジに泣かされた「UFC時代のランデルマン」
オハイオ州出身のランデルマンは、高校時代はアメリカンフットボールに熱中し、オハイオ州立大学ではアマレスでオールアメリカンに選ばれるほどの活躍を見せた。アマレスからMMAに転向した大学の先輩マーク・コールマンのアドバイスもあり、1996年10月にブラジルでプロデビューした。
1999年3月にはUFCに初参戦。前ヘビー級王者のモーリス・スミスに勝利した結果を受けて、2戦目にしてバス・ルッテンとの王座決定戦が決まった。同年5月7日にアラバマ州バーミンガムで行われた試合はランデルマンがルッテンをテイクダウンし続け、グラウンドでパンチを浴びせる展開のまま判定へ。オフィシャルカメラマンだった私は、試合後にケージの中へ入ることができ、勝者が手を上げられる瞬間を撮るためにスタンバイした。
もちろんフォーカスは勝者であろうランデルマンに合わせていたのだが、2-1のスプリットでルッテンに軍配が上がる。観客はこの判定に大ブーイングを浴びせた。誰よりも間近で試合を裁いたレフェリーのジョン・マッカーシーも、我々と同じ気持ちだったのだろう。彼が不満げにルッテンの手を上げたときの表情は忘れられない。まるで「ジャッジの目は節穴か」とでも言いたげだった。
この試合の内容を評価されたランデルマンは、同年11月にピート・ウィリアムスとのヘビー級王座決定戦が日本で組まれた。試合は危なげなく攻め続けたランデルマンが勝利。念願のUFCのベルトを手に入れ、駐日アメリカ大使のトーマス・フォーリー氏にベルトを巻く誇らしげな姿が印象的だった。