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「ミルコをKOし、ヒョードルをぶん投げた男」ケビン・ランデルマンを覚えているか? “伝説のバックドロップ”を撮ったカメラマンの追憶
text by
長尾迪Susumu Nagao
photograph bySusumu Nagao
posted2023/04/22 17:00
自慢の怪力でエメリヤーエンコ・ヒョードルを担ぎ上げるケビン・ランデルマン。多くのファンに愛された好漢は、2016年に44歳の若さでこの世を去った
病と闘った現役晩年「今の自分にとっては…」
ランデルマンはその後も継続してPRIDEに出場したものの連敗が続き、2005年12月には真菌感染症のため左肺の手術を受け長期欠場する。翌2006年10月にPRIDEのラスベガス大会で復帰したが、マウリシオ・ショーグンに一本負け。2007年の初めには感染症と腎臓病のため、再度の闘病生活に入った。そして2008年5月、日本で新しく旗揚げされた戦極に参戦し、川村亮を相手に約3年ぶりの勝利をあげた。
この試合は私も撮影していた。リング上で高く飛び跳ねるパフォーマンスは健在だったが、度重なる手術や闘病の影響で、以前のように爆発的なスピードやパワーを見せることはできなかった。格闘家としてのスタイルを変えていかないことには、トップ戦線で活躍するのは難しいだろうと思われた。
ランデルマン自身もそのことは理解していたようで、ブラジリアン柔術の練習を熱心に続けていた。柔術の青帯になったときには「UFCのベルトも持っているけど、今の自分にとってはこの青帯の方が大切だよ」と語っている。
彼のラストファイトは2011年5月。ロシアのハバロフスクで、腕十字固めによる一本負けだった。
突然の訃報「夫が最も好きな場所が日本でした」
ランデルマンが亡くなったというニュースが飛び込んできたのは、あまりにも突然のことだった。親族が2016年2月12日付のFacebookで報告したところによると、前日の11日、彼は病院で息を引き取ったという。享年44。死因は肺炎による心不全だった。かつて名勝負を繰り広げたヒョードルやミルコをはじめ、多くのファイターや関係者がその早すぎる旅立ちを悼んだ。
2016年4月17日の『RIZIN.1』で行われた追悼セレモニーでは、家族を代表してエリザベス夫人がリング上でこう挨拶した。
「私たちは世界中を旅しましたが、夫が最も好きな場所がこの日本でした。みなさんが示してくれた愛情、尊敬を、私たちは一生忘れません。ありがとうございました」
UFC時代からランデルマンを知る者の一人として、この場を借りて彼に伝えそびれていたことを書き残しておきたい。
親愛なるケビンへ。
辛いことや困難が目の前に立ちふさがるとき、いつもあなたの言葉を思い出します。
「俺だって怖い。でも、地獄を潜り抜けて天国を見ると決めたんだ」
愛すべきドンキーコング、どうか天国でも高く飛び跳ねてくれ。
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。