ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
“掟破りの顔面蹴り”はオカダと清宮の大乱闘に発展…35年前、長州力vs前田日明の「顔面襲撃事件」を振り返って考える“スキャンダルの功罪”
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph by東京スポーツ新聞社
posted2023/02/03 17:00
1月21日、清宮海斗のオカダ・カズチカへの顔面蹴りは場外乱闘へと発展
プロレスの枠を超えた“ケンカマッチ”に
87年11月19日後楽園ホールでの長州力&マサ斎藤&ヒロ斎藤vs.前田日明&木戸修&高田延彦。一見、長州軍vs.UWFのなんの変哲もない6人タッグマッチに思えるが、冷戦状態だった長州と前田の直接対決は、プロレスの枠を超えたケンカマッチとなってしまう。
試合中盤、長州が木戸にサソリ固めを仕掛けようとすると、試合の権利がない前田が背後から回り込み長州の顔面をキック。このカットプレーと呼ぶにはあまりにも強烈な一撃で長州は右目を大きく腫れ上がらせ、右前頭洞底骨折、全治1カ月の重傷を負ってしまったのだ。
人間の鍛えられる部分に攻撃を加え闘いを演出するプロレスにおいて、背後から不意打ちで目を狙った(とされる)前田の攻撃は厳しく糾弾され、新日本の総帥・猪木も「プロレス道にもとる行為」と断罪。新日本は前田に無期限出場停止処分を下すにいたった。
この事件が起きてしまった要因を藤波辰爾はこう語っている。
「あれは長州と前田、お互いのエゴがぶつかった結果だね。とくに前田は、UWFを団体として再興したいと考えていたのに新日本に取り込まれつつあったから、危機感があったと思う。プロレスはお互いのいい部分を引き出し合う競技という側面があるけど、あの頃はそれぞれが野心を持っていたから、潰し合いになってしまったんだよね」
新日本を解雇も、新生UWFは社会現象に
結局、無期限出場停止処分は解かれることなく、88年3月に新日本は前田の解雇を発表。なぜ、たった1発の蹴りが解雇にまで発展してしまったのか。背後からの前田の蹴りは、一歩間違えたら目に重大なダメージを残しレスラー生命を奪いかねない危険な行為と判断されたことがひとつ。また、新日本から命じられた15パーセントの減俸とメキシコ遠征を前田が拒否したことが直接的な要因となったが、理由はそれだけではなかった。
いつまで経っても新日の色に染まらず、UWFスタイルの格闘プロレスを貫く前田やUWFというグループを新日本幹部はもともと煙たがっており、危険人物と判断した前田を切ることで、UWFを解体させ、プロレスを格闘技化するという“危険思想”を一掃しようとしたとも言われているのだ。
当時の日本プロレス界は新日本と全日本の(男子)2団体時代。両団体は紳士協定を結んでおり、新日本が解雇した前田を全日本が使うことはできなかった。これによって前田の選手生命は絶たれたかに思われたが、そうはならなかった。
新日本を解雇されたあともファンは前田を支持。草の根的に支援の声が広がると、前田はUWF再興を決意する。そして盟友・高田延彦らも新日本との契約更改を拒否して合流、ついに新生UWF旗揚げが決定した。この絶望の淵からの大逆転劇にファンは歓喜。新生UWFはここから社会現象と呼ばれるほどのブームを巻き起こすのだ。