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セリエA ダイレクト・レポートBACK NUMBER
「夜遊び朝帰りが日常」「決起ディナーで罵倒合戦」も…なぜ「90-91のサンプドリア」はサッカー史最大級の番狂わせを起こせたか
text by
弓削高志Takashi Yuge
photograph byAlessandro Sabattini/Getty Images
posted2023/01/13 11:02
90年代初頭のサンプドリア。マンチーニ、ビアッリ、パリューカらまさに多士済々のメンバーがそろった魅惑のチームだった
サンプドリアは序盤から上位陣にくらいついた。膝の不調で出遅れていたエースFWビアッリが8節ピサ戦で待望のシーズン初ゴールを上げると、以降2連勝。チームの華は“ジェメッリ・デル・ゴール(ゴールの双子たち)”の異名をとったマンチーニとビアッリの黄金コンビだった。
前年王者ナポリに挑んだ9節のアウェーゲームでは、2人が揃ってドッピエッタ(2得点)の大暴れ。先制されるも慌てず騒がず、ビアッリが後方からの浮き球をノールックの左足ボレーで決めれば、マンチーニも流れるような右足ジャンピングボレーを放つスーパーゴールの競演。守っては長身DFビエルコウッドがマラドーナを封じ込め、「おまえは超人ハルクか」と言わしめた。
終わってみれば4-1の大勝利。こんなに面白いゲームを見せられれば、誰でもサンプドリアに恋するに決まっている。ボスコフ監督は老獪に笑った。
「私のチームは誰もが投げキッスしたくなるような、とびきりのカワイコちゃんさ」
プライベートでもつるんだ彼らはよく働き、よく遊んだ
当時のサンプには権威からの束縛を嫌う、奔放な活力があり、選手たちには青春のエネルギーが溢れ返っていた。肌感覚としては日本の中学、高校での部活動や体育祭、文化祭のノリが近いだろうか。
選手たちはグラウンドの中でも外でも、つねに全力だった。世はバブル経済真っ只中、イタリアにも好景気の波は押し寄せ、プライベートでもつるんだ彼らはよく働き、よく遊んだ。練習後にピッツェリアへ集合し、二次会でカラオケのマイクを奪い合った。ふざけてコスプレに興じ、ディスコで『ランバダ』を踊り明かした。
夜遊び朝帰りは日常茶飯事。遅刻魔ビアッリが午前練習に遅れた際のマル秘テクニックはこうだ。
駐車場に着くと、ロッカールームではなくジムへ直行。水をコップ一杯かぶって汗びっしょりを装ってから、いかにも“僕は今まで真面目に筋トレしてましたよ”という体でグラウンドに顔を出した(と同時に、仲良しの用具係に朝食のビスケットとミルクを隠れて持ってきてくれるようお願いするのも忘れない)。
ムードメーカーはトニーニョ・セレーゾで決まりだ。最年長なのにグラウンドでもディスコでも、誰よりノリがよくキレがいい。ビーチの砂をつけたまま平気で2時間遅刻してきても、いざ練習に加わればサンバのリズムを愛するヒゲ親父から誰もボールを奪えない。
「絶対年齢詐称してる!」
「本当は35歳じゃなくて45歳だろ、何でそんなに上手いんだよ!」
仲間たちはトニーニョの老け顔をいじりながら、笑顔を絶やさないベテランを敬愛した。そして、どんなに羽目を外そうが、日曜午後のキックオフの笛を聞けば、戦いのスイッチを入れることを彼らは忘れなかった。
マントバーニ会長は選手たちを気前よく可愛がり、少々のヤンチャにも目をつぶった。忍耐強くチームを見守る会長を選手たちは“第二の父親”と慕い、その信頼に報いようとした。
「会長に甘やかされたチーム」と揶揄されても
「サンプドリアの空気はゆるい」
「会長に甘やかされたチーム。どうせ優勝なんかできっこない」
新聞や世間には新参者であるサンプを揶揄する声があふれていた。スクデットという栄冠を手にする資格があるのは、ユベントスやミランのような規律を重視するビッグクラブのみ、と強者に阿る風潮は確かにあった。
マンチーニやビアッリらはこういった偏見や先入観を嫌い、真っ向から反発した。何より心血注ぐ会長を侮ることは許せなかった。
長いシーズンの間には当然、足踏みもあった。