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「夜遊び朝帰りが日常」「決起ディナーで罵倒合戦」も…なぜ「90-91のサンプドリア」はサッカー史最大級の番狂わせを起こせたか 

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弓削高志

弓削高志Takashi Yuge

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photograph byAlessandro Sabattini/Getty Images

posted2023/01/13 11:02

「夜遊び朝帰りが日常」「決起ディナーで罵倒合戦」も…なぜ「90-91のサンプドリア」はサッカー史最大級の番狂わせを起こせたか<Number Web> photograph by Alessandro Sabattini/Getty Images

90年代初頭のサンプドリア。マンチーニ、ビアッリ、パリューカらまさに多士済々のメンバーがそろった魅惑のチームだった

 ライバルたちの自滅に助けられたことは否めない。ユーベは無理やりシャンパン・サッカーを導入しようとして失敗、7位に沈んだ。ナポリはマラドーナにコカイン反応が出て、大黒柱を長期出場停止で失い脱落した。

ビアッリが「給料倍増」のミランを断ったワケ

 91年のセリエAタイトルは、ただの時代の徒花だったのか。

 優勝したチームの萌芽は、4年前に生まれていた。

 86年の夏、ビアッリは野心家の大富豪シルビオ・ベルルスコーニから「サラリー倍増してあげるから、ミランへ入団しないか」と誘われた。仲間たちもファンも交渉の行方を案じた。

 しかし、ビアッリは「申し訳ありませんが、サンプの仲間たちと優勝したいので」と断った。ビアッリだけでなく、若く実力あるサンプの選手たちを求める移籍市場の声は引きも切らなかった。プロならより高い年俸や待遇を望むのが当然だ。

 だが、ビアッリは侠気と友情を優先した。感激したマンチーニやビエルコウッドらは「優勝するまで移籍はしない。優勝するときは皆いっしょだ」と誓いを立てた。

 誓いはロッカールームで、レストランで機会あるごとにくり返され、91年の夏、ついに結実した。

 試合終了の笛が鳴り、ジェノバの街の沿道を埋める車や2人乗りベスパの群れが、けたたましいクラクションや揺れるフラッグでセリエA優勝を告げ始めた。公営放送RAIのチャンネルでは、中継を担当する地方局アナウンサーが弾む声で謳っている。

「優勝は夢ではありません! プロビンチャーレ(地方クラブ)でもビッグクラブを倒せるのです!」

 90-91年シーズンのサンプドリアが特別なのは、全国のプロビンチャーレに夢を与えたからだけではなく、彼らがサッカーに狂わず、呑み込まれず、人として人生を謳歌することを忘れなかったことが人々の共感を呼んだからだ。

優勝は私たちと会長とのラブストーリーの賜物なんだよ

 30年余が過ぎた昨年秋、奇跡のシーズンを追ったドキュメンタリー映画『La bella stagione』が公開された。映画の冒頭、“ゴールの双子たち”が語りかける。

「あれは愛と友情のチームさ。優勝は私たちと会長とのラブストーリーの賜物なんだよ」

 聞いている方が赤面するような言葉をマンチーニは大真面目に口にする。映像の中で、ビアッリも続ける。

「そうだな、あのチームは愛と友情がメインディッシュで、サッカーはほとんど添え物だった」

 還暦過ぎた仲間たちは少し照れくさそうに「あれは友だちが集まったチームじゃない。“兄弟”のチームさ」と声を揃えた。

 優勝祝賀イベントでは、ビアッリやマンチーニら5人の選手が、数万人のファンの前で長髪ブロンド、革のライダースにサングラスでロックバンド「EUROPE」に扮し、『The Final Countdown』を演奏するというドッキリを仕掛け、大成功を収めた。

 何から何まで型破り。こんな破天荒なチームはもう2度と出現しないだろう。

 <#1からつづく>

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