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〈58歳で死去〉「正直に言いますが、妻の前で何度も涙を流しましたよ」イタリア異端の名FWが膵臓がんを「長い旅路の伴侶」と呼んだ理由

posted2023/01/13 11:01

 
〈58歳で死去〉「正直に言いますが、妻の前で何度も涙を流しましたよ」イタリア異端の名FWが膵臓がんを「長い旅路の伴侶」と呼んだ理由<Number Web> photograph by Alessandro Sabattini/Getty Images

95-96シーズン、CL制覇したユベントス時代のビアッリ。デシャン(右から2人目)らと共闘してつかんだ欧州の頂点だった

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弓削高志

弓削高志Takashi Yuge

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Alessandro Sabattini/Getty Images

 セリエA黄金期に活躍した名FWジャンルカ・ビアッリが、58歳の若さでこの世から去った。がんに侵された彼の人生の向き合い方、そしてビアッリらがイタリアサッカー史に残る「大番狂わせ」を達成した伝説について振り返る(全2回の1回目/#2へ)

「サッカー人生でやり残したことがまだある。会長としてクラブを経営してみたいんだ。こうしたいという理念やサッカー界に変革を促したい考えはずっと持っている。だから、少なくともあと何年かは生きたい」

 90年代を代表する名ストライカーだったジャンルカ・ビアッリが6日、膵臓がん治療のため入院していたロンドンで亡くなった。

 17年に公表した病魔を倒すべき敵ではなく「長い旅路の伴侶」と呼んだ。ビアッリは残される家族やファンの心情を案じ、努めて明るく振る舞い、気高く笑って死んでいった。

 悔やまれる早逝に違いない。だが、何と濃密な58年の生涯だったことか。

ユーべ時代に決めた伝説のオーバーヘッドも凄かったが

 ビアッリが、セリエA黄金期に活躍した世界屈指のFWだったことに異論は少ないだろう。

 技術とスピード、フィジカルにスタミナ、さらに高い身体能力と得点への嗅覚まで兼ね備えた、90-91年シーズンのセリエA得点王。出身地クレモナで製造される弦楽器バイオリンの世界的名器「ストラディバリウス」をもじって「ストラディビアッリ」の異名でも呼ばれた。ユベントス時代の94年10月23日、クレモネーゼ戦で見せたオーバーヘッド・シュートが、生涯ベストゴールの1つとされている。

 ただし、ビアッリの名がイタリア全土から欧州中に知れ渡ったのは、通算8季在籍したサンプドリア時代だろう。

 84年の夏、地元クレモネーゼから大望を抱きサンプに入団した20歳のビアッリは、終生の友となるFWロベルト・マンチーニ(現イタリア代表監督)を相棒として得た。16歳の時分から年代別代表で意気投合していた2人は、たちまちゴール前のホットラインを構築。86年に就任した旧ユーゴスラビアの名将ブヤディン・ボスコフの指導の下、ビアッリは点取り屋としての才能を開花させた。

 89年に優勝したコッパイタリアでは現在も破られていない1大会最多ゴール記録「13」を達成し、90年に制したUEFAカップウィナーズカップでも得点王を奪取。敵陣のスペースを面白いように切り裂くマンチーニとの黄金コンビはまさに阿吽の呼吸で、「ジェメッリ・デル・ゴール(=ゴールの双子たち)」と呼ばれた2人は、90-91年シーズンにクラブ悲願のセリエA優勝(91年)を成し遂げた。

CL制覇のちチェルシーでは“兼任監督”に

 快進撃は翌92年のUEFAチャンピオンズカップ決勝まで続いた。

【次ページ】 マンチーニ、バッジョ、デルピエロ、ゾラの相棒として

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