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大学野球PRESSBACK NUMBER
「東大でも20年間で4人しかいない奇跡」“偏差値77の最難関”東大医学部と東大野球部を両立させたスゴい天才ってどんな人生? 本人に話を聞いた
text by
沼澤典史Norifumi Numazawa
photograph byKYODO
posted2022/12/26 11:04
2007年の東京六大学リーグ戦で登板する安原崇哲(1年)。当時20年ぶりの東大医学部所属の野球部員となった
「調子がよいときでも、ストレートは130キロくらい。速球というのもおこがましいほどの遅球でした。緩急をつけようにももともと緩いのですけど、ストレートよりもさらに遅いカーブとの緩急で、必死に投げていましたね。もうカーブなんて遅すぎて打てないんですよ」
その後も2年秋の法政戦に先発するなど、安原は4年間で21試合に登板している。だが、その間、マウンドでの安原の一番の敵は、イップスだったという。
「色々と自分の投球動作を改良しようと試行錯誤しているときに、暴投をしたことがあったんです。それが1年生の夏。そこから、投げる動作がわからなくなるというか、完全に霧の中に入ってしまった。自分の体が自分ではないような、『あれ? 自分はどうやってボールを投げてたっけ?』という感覚。『暴投しちゃうかも』という不安が頭の中にはっきりあるわけではないですが、深層心理にはあるんでしょうね。そこに体が反応してしまう。2年秋の法政戦では、そんな状態で先発に起用され、地に足がつかず、投げている感触が終始なかったです」
その重い口ぶりが示すように、2年秋のシーズンは、安原にとって限界だった。
「あの頃は本当にとんでもなくダメな状態。これから医学部の勉強も大変になるし、もう野球部をやめようかなとも考えました。そのときは『やめるのはいつでもできるし、医学部が大変ならそのときやめればいい』という両親の言葉で踏ん張ることができましたが、メンタル的にはどん底を味わいましたね。ただ、そのような落ち込みを乗り越えて、野球を4年間続けたのは、今は非常に自信になっています」
「基礎研究の逆境も東大野球部と似ています(笑)」
現在、安原は東京大学大学院医学系研究科疾患生命工学センター放射線分子医学部門にて、がん細胞の研究に従事している。今になると研究と野球との類似点に気づくという。
「研究は観察から始まって、その違いを見極め、なぜそうなっているのかを解明していくこと。私は、正常細胞とがん細胞の違いを観察して、比較するという研究をしていますが、野球も上手な人と自分の動作を比較し、その差を埋めていく作業がメインです。なので、野球部の4年間も自分は研究をしていたんだなと実感しています。私が取り組んでいるのは、いわゆる基礎研究というもので、予算が潤沢でもなく派手な分野でもないのですが、そういう逆境も東大野球部と似ていますしね(笑)。逆境でも自分が大事だと思ったことをやり遂げる重要性は、東大野球部でも学んでいるので、今後もがん診療や治療につながる研究をしていきたいです」
「理二から医学部へ進むのは相当難しい」
そして、安原は「野球への強い思いがあれば、医学部との両立を諦める必要はありません。しんどいことは間違いないので誰にでもおすすめはしませんが、私が得られたものは大きかった」と、後輩へエールを送る。日本のがん研究の未来を担う人物の根底には、東大野球部で培った経験があるのだ。
飄々と自身の経験を語る安原に「彼は相当大変だったと思う」と言わしめる医学部の後輩がいる。