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プロ野球PRESSBACK NUMBER
森祇晶に野村&落合も…名将に愛された辻発彦(西武前監督)が語る“最強軍団のリアル”「森さんがテトリスを」「ぶっちゃけお給料は…」
posted2022/12/22 11:01
text by
佐藤春佳Haruka Sato
photograph by
Yuki Suenaga
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名将に愛された男だ。広岡流「管理野球」の産湯を使い、森祗晶に「常勝」を叩き込まれた。仕上げはノムラの「ID野球」。辻さんの“履歴書”には、クセの強すぎる? 名うての指揮官たちがズラリと顔を揃える。
「そうなんですよ(笑)。まず広岡さんから始まってね。自分は広岡さんのもとで野球をやりたい、という信念のもとライオンズに入ったんです。ところが入団してみたら、こりゃエラいところに来たな、と頭を抱えました」
名将1)広岡達朗…「褒め言葉なんて一度も」
現役時代、名遊撃手として名を馳せた広岡監督は、「ルーキー・辻」を徹底的に鍛え上げた。自らノックの雨を降らせ、手本を示しながら内野の守備を叩き込んだ。
「褒め言葉なんて一度も言われたことがなかった。でもそれが自分にとっては良かったと思います。言われれば言われるほど、くそ、やってやるぞ! と思うタイプ。監督にも『さあ、こいや!』とばかりに向かっていった記憶があります。本当の厳しさというものを教えていただきましたね。と同時に、選手は監督に見られていることがどれだけ嬉しいのか、ということも痛感しました」
持ち前の反骨心で立ち向かった辻さんはプロ2年目でレギュラーを奪い、不動の二塁手として黄金期の足がかりを作っていく。もっとも、アマチュア時代エリート街道とは無縁だった男を鍛え上げたのは、広岡監督がその素質を見抜き期待していたからこそ。野球の世界の「厳しさ」と、指揮官の「目」の鋭さを、身をもって感じた駆け出しの時代だった。
名将2)森祗晶…「勝って当たり前のチーム」
野球人生で最も影響を受けた指揮官といえば森祗晶になるだろう。監督就任後の1986年から1994年まで9年間で8度のリーグ優勝、うち日本一が6度という最強軍団を、監督と主力選手として作り上げた。森監督が常々口にし、後の辻監督も重きを置いた哲学は「野球はセンターライン」。二塁手としてその肝を担いながら、「勝ち方」の術を知った。