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森祇晶に野村&落合も…名将に愛された辻発彦(西武前監督)が語る“最強軍団のリアル”「森さんがテトリスを」「ぶっちゃけお給料は…」

posted2022/12/22 11:01

 
森祇晶に野村&落合も…名将に愛された辻発彦(西武前監督)が語る“最強軍団のリアル”「森さんがテトリスを」「ぶっちゃけお給料は…」<Number Web> photograph by Yuki Suenaga

埼玉西武ライオンズの監督を今季限りで退任した辻発彦氏にインタビュー(前編)

text by

佐藤春佳

佐藤春佳Haruka Sato

PROFILE

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Yuki Suenaga

埼玉西武ライオンズの監督を今季限りで退任した辻発彦氏。セカンドの名手として活躍した現役時代は、西武で広岡達朗、森祗晶の両監督、移籍したヤクルトで野村克也監督の指揮下でプレーし、引退後は中日・落合博満監督のもと二軍監督やコーチもつとめた。そんな辻氏に名将たちとの思い出や、影響を受けた「監督像」について聞いた。(全2回の前編/後編へ)

◆◆◆

 名将に愛された男だ。広岡流「管理野球」の産湯を使い、森祗晶に「常勝」を叩き込まれた。仕上げはノムラの「ID野球」。辻さんの“履歴書”には、クセの強すぎる? 名うての指揮官たちがズラリと顔を揃える。

「そうなんですよ(笑)。まず広岡さんから始まってね。自分は広岡さんのもとで野球をやりたい、という信念のもとライオンズに入ったんです。ところが入団してみたら、こりゃエラいところに来たな、と頭を抱えました」

名将1)広岡達朗…「褒め言葉なんて一度も」

 現役時代、名遊撃手として名を馳せた広岡監督は、「ルーキー・辻」を徹底的に鍛え上げた。自らノックの雨を降らせ、手本を示しながら内野の守備を叩き込んだ。

「褒め言葉なんて一度も言われたことがなかった。でもそれが自分にとっては良かったと思います。言われれば言われるほど、くそ、やってやるぞ! と思うタイプ。監督にも『さあ、こいや!』とばかりに向かっていった記憶があります。本当の厳しさというものを教えていただきましたね。と同時に、選手は監督に見られていることがどれだけ嬉しいのか、ということも痛感しました」

 持ち前の反骨心で立ち向かった辻さんはプロ2年目でレギュラーを奪い、不動の二塁手として黄金期の足がかりを作っていく。もっとも、アマチュア時代エリート街道とは無縁だった男を鍛え上げたのは、広岡監督がその素質を見抜き期待していたからこそ。野球の世界の「厳しさ」と、指揮官の「目」の鋭さを、身をもって感じた駆け出しの時代だった。

名将2)森祗晶…「勝って当たり前のチーム」

 野球人生で最も影響を受けた指揮官といえば森祗晶になるだろう。監督就任後の1986年から1994年まで9年間で8度のリーグ優勝、うち日本一が6度という最強軍団を、監督と主力選手として作り上げた。森監督が常々口にし、後の辻監督も重きを置いた哲学は「野球はセンターライン」。二塁手としてその肝を担いながら、「勝ち方」の術を知った。

【次ページ】 「森さんがテトリスやゲームボーイを…」

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