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甲子園の風BACK NUMBER
「球が速すぎてバットに当たらない」噂は本当か? “江川卓の甲子園デビュー”は事件だった…相手打者の“ファウル”に球場がざわめいた日
text by
太田俊明Toshiaki Ota
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2022/08/13 06:00
巨人で活躍した江川卓。「高校野球史上最高ピッチャー」ともいわれる作新学院時代を振り返る
いわば“3試合連続ノーヒットノーラン”で迎えた準決勝は休養日なしの連投だったが、この試合にも先発して9回まで無安打ピッチング。実に、大会初戦から準決勝の9回まで、7日間に4試合に先発して「36イニング連続無安打無失点」である。真夏の炎天下での連投。疲労も当然あるなかで、36イニング連続で被安打ゼロというのは常識では考えられない。
しかし、作新学院も延長11回表まで無得点で、その裏にヒットで出たランナーをスクイズで帰され、0-1のサヨナラ負け。江川は、大会を通じてわずか1点を取られただけで甲子園出場を逃がしたのだった。
ちなみに、この大会で江川が奪った三振は、37回2/3を投げて61個で奪三振率14.6。アウトの半分以上が三振だった。
3年生が引退後、部の最上級生になった江川の代で、秋季栃木大会を制覇。つづく関東大会の準決勝では、千葉代表・銚子商業を1安打20奪三振で完封した。翌日の決勝戦も、神奈川代表・横浜高校を4安打16奪三振で完封して優勝。ようやく春のセンバツ、すなわち甲子園切符を手にしたのだった。
初めての甲子園。初戦の相手は優勝候補だった
江川は「昭和の怪物」と言われる。怪物とは、「力量が周囲を圧して飛び抜けている」という意味の他に、「正体の知れないもの」という意味合いもある。後者の意味でも、江川は真の怪物だった。
センバツ直前になっても、江川は取材にきた記者から「記録を作ったといっても田舎のことだから。全国ではそうはいかないよ」という言葉をかけられたという(江川の公式YouTubeチャンネル「たかされ」より)。
そして迎えた1973年(昭和48年)3月27日。センバツ開幕日の第1試合に、前年秋の新チーム結成から110イニング連続無失点、194奪三振という快記録をひっさげ、ついに怪物が甲子園でベールを脱いだ。
ファウルでざわめく甲子園
一体どんな投手なのか。バットに当たらない球を投げるという噂は本当なのか。日本中の野球ファンが注目した江川の初戦の相手は、チーム打率.336と出場チーム中最高の打力を誇り、大会屈指の好投手・有田二三男(元近鉄。同年、夏の甲子園でノーヒットノーランを達成)を擁する優勝候補筆頭の北陽(大阪)。現代で考えるなら、評判の怪物投手が大阪桐蔭と激突するくらい、注目された一戦だった。