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甲子園の風BACK NUMBER
「球が速すぎてバットに当たらない」噂は本当か? “江川卓の甲子園デビュー”は事件だった…相手打者の“ファウル”に球場がざわめいた日
posted2022/08/13 06:00
text by
太田俊明Toshiaki Ota
photograph by
BUNGEISHUNJU
100年を超える歴史を持つ全国高等学校野球選手権大会。あの伝説の投手・沢村栄治(京都商業)や、いまやメジャーを席巻する大谷翔平(花巻東)も出場した甲子園の長い歴史のなかで、史上最高の投手は誰なのか――。
そう問われたとき、60歳を超える野球ファンの多くはこう答えるだろう。「間違いなく作新学院の江川卓」だ、と。それほど高校時代の江川は、記録にも記憶にも残る異次元の投手だった。いかに圧倒的だったのか。当時対戦した打者の証言などから、“元祖・怪物”の正体に迫る。(全2回の前編/後編へ)
そう問われたとき、60歳を超える野球ファンの多くはこう答えるだろう。「間違いなく作新学院の江川卓」だ、と。それほど高校時代の江川は、記録にも記憶にも残る異次元の投手だった。いかに圧倒的だったのか。当時対戦した打者の証言などから、“元祖・怪物”の正体に迫る。(全2回の前編/後編へ)
「栃木にとんでもない投手がいるらしい」「球が速すぎてバットに当たらないそうだ」
そんな噂が、関東から全国に広まっていったのは1972年(昭和47年)頃だった。地方大会の映像がなかなか見られなかった時代。噂だけが先行して、江川が投げる姿を実際に見た者はほとんどいなかった。
その江川が、3年生にしてようやく甲子園に姿を現した1973年の春のセンバツは、大会前から空前の江川フィーバーになった。
なにしろ、甲子園初出場に至るまでの記録が凄まじい。
江川2年時の夏…「36イニング連続無安打無失点」
前年の夏、江川2年時。夏の甲子園を目指す栃木大会では、2回戦から登場して軽々ノーヒットノーラン。中1日置いた3回戦では、一人のランナーも許さない完全試合。そこから中2日の準々決勝もノーヒットノーラン……。