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ラグビーPRESSBACK NUMBER
「最初から怖がらなかった」父・松田努が語る、娘・凜日とラグビーの出会い…待望の大型FBに受け継がれる“15番のDNA”とは?
text by
大友信彦Nobuhiko Otomo
photograph byL)JRFU / R)Hideki Sugiyama
posted2022/08/05 17:01
5年ぶりの女子ラグビー国内テストマッチで輝きを放った松田凛日(20歳/左)。父・努の代名詞である「15番」を日本代表で初めて背負った
その後、凜日は國學院栃木高に進み、高1の4月から7人制の国内サーキット「太陽生命ウィメンズセブンズシリーズ」の「チャレンジチーム」に選ばれ、国内トップ選手に混じって全4大会に出場した。すべての大会でトライを決めるなどスケールの大きさをアピールし、高1の終わりには日本選抜に選ばれ、オーストラリアで開かれた大会「スーパーセブンズ」に出場。
高3の4月には、香港で開かれたワールドシリーズ昇格予選大会で7人制日本代表デビュー。その後の北九州大会でワールドシリーズデビューも飾るなど、日本女子の次代のエースとして順調にキャリアを重ねていった。
だが、順調に見える足取りとは逆に、凜日の表情からは笑顔が消えていくのだった。
「本人が一番悔しいのは分かっていた」
合宿に次ぐ合宿によって身体には疲労が蓄積し、ケガが続いた。特に悩まされたのは足首のケガだ。ケガを抱えていても合宿には招集された。トレーニングメニューは回復状態にあわせて与えられたが、頑張ればそれもまた徒となり、オーバーワークが次のケガを呼ぶ。悪循環だった。
「本人が一番悔しいのは分かっていたから、ケガについてはこちらからも触れないようにしていました」
凜日が高校を卒業し、日体大に入学する頃、東京五輪の1年延期が決定。朗報に思えたが、結局は五輪本番も、一度は代表に選ばれながら直前のケガで外れてしまった。
「あのときは本当に悔しそうでしたね。『ラグビーが嫌になったらやめてもいいし、違う道を選んでもいいぞ』と声をかけました。でも本人は『ラグビーは続けたい』と言って……。とりあえず、家族でドライブに行って、好きなものを食べさせて、リフレッシュさせました」
対戦相手として見た娘・凛日の印象
五輪終了後、凜日は15人制に転向する。
「日体大に戻ったらちょうど15人制のシーズンが始まっていて、私も15人制を本格的にやってみたかったし、そこで始めました。セブンズもまたやろうと思ってますけど、15人制も楽しい。セブンズと違ってキックを使う機会も多いし、チームでトライを取ったときは自分じゃなくても喜べる。一体感がいいなあと」
2021年12月に開幕した15人制ラグビー女子関東大会で、凜日は日体大のCTBとして出場した。努さんは親としてだけでなく、ブレイブルーヴの監督として、対戦する側から娘を見た。
「セブンズほど自由には動けない、ポジションで役割が決まっているので、本人的には難しかったかもしれないけど、CTBで縦に突破する力は効いていました。身体もあるし、強さはある。もう少し横に動けたらもっとスゴくなると思ったけど、そのときはまだ足首が万全じゃなかったですしね。あと、タックルはしっかり行けていた」