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全国出場ゼロ→日本代表の15番へ…“異色のレジェンド”松田努はなぜ女子ラグビー指導の道に? 代表デビューの娘に送った“おめでとうLINE”

posted2022/08/05 17:02

 
全国出場ゼロ→日本代表の15番へ…“異色のレジェンド”松田努はなぜ女子ラグビー指導の道に? 代表デビューの娘に送った“おめでとうLINE”<Number Web> photograph by Takao Yamada

後ろ髪をなびかせながらピッチを駆け抜ける姿が印象的だった元ラグビー日本代表・松田努(52歳)

text by

大友信彦

大友信彦Nobuhiko Otomo

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photograph by

Takao Yamada

 女子15人制ラグビー日本代表の5年ぶりとなる国内テストマッチで存在感を発揮した松田凜日(りんか/20歳)。父の代名詞でもある「15」を背負う姿がたちまち話題となった。#2では、ラグビー界のレジェンドである父・松田努の引退後のキャリアに迫る(全2回の2回目/#1へ)。

 松田凜日の父、松田努は日本代表のFBとしてW杯4大会に出場した名選手だ。

 通算キャップは43。東芝府中(現・東芝ブレイブルーパス東京)では1996~98年度の日本選手権3連覇、トップリーグでは2004~06年度の3連覇、2008~09年度の2連覇に貢献した。だが、オールドファンの記憶に刻まれる姿は、そんなデータでは表現しきれない。何よりも記憶に残る、異色のFBだった。

全国出場ゼロ、41歳まで現役「中年の星」

 まず経歴からして異色だ。

 同時代の日本代表FBを争ったのは細川隆弘(伏見工-同大)や今泉清(大分舞鶴-早大)など、高校・大学とも全国の頂点を争う名門チームのOBだったが、松田は全国大会出場歴ゼロの埼玉県草加高校出身。

 その後に入学した関東学院大学も、当時は大学選手権にようやく出場し始めた頃だった。そもそも松田は高校まではFWでプレーしていて、高校日本代表候補などとも無縁の無印プレーヤー。FBでプレーしはじめたのは大学入学後だ。

 それまでのラグビーヒーローの誰にも似ていなかった。たてがみのような後ろ髪を風になびかせ、特大ストライドでグイグイと加速。襲いかかってくる相手タックルをハードル選手のように飛び越え、蹴散らしてピッチを駆け抜ける姿は、大草原を疾駆する荒馬のように見えた。

 その疾走は関東学院大を初の大学4強へ、東芝府中を日本選手権3連覇へ導き、トップリーグ時代を迎えると東芝を無敵の王座へと押し上げ、日本代表で世界の強敵に立ち向かった。

 もちろん、記録にも残る選手だった。

 トップリーグでは最年長出場記録と最年長トライ記録を更新し続けた。2011年度に記録した41歳8カ月29日というトップリーグ最年長トライ記録はトップリーグがリーグワンへ移行した今も破られていない。

 40歳を超えてなお、20代前半の選手たちと当たり前のように抜き合い、タックルを決め、トライを決める松田さんはいつしか「中年の星」と呼ばれた。

【次ページ】 新人時代のリーチ「見習う部分が多かった」

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