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「就職氷河期の悲壮感はなかったです」30%以上が留年したが…弁護士、コンサル、一流企業へ、東大野球部エリートの進路やっぱりスゴかった 

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沼澤典史

沼澤典史Norifumi Numazawa

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photograph bySports Nippon/AFLO

posted2022/08/04 17:02

「就職氷河期の悲壮感はなかったです」30%以上が留年したが…弁護士、コンサル、一流企業へ、東大野球部エリートの進路やっぱりスゴかった<Number Web> photograph by Sports Nippon/AFLO

この春、東大野球部に入部し、神宮デビューを果たした元ロッテ渡辺俊介の長男・向輝。その東大野球部、就職氷河期世代の“先輩たち”はどんな進路を選んだのか?

「ただ、一度司法試験を受けてみて、まったく手応えがないようなら、一般企業に就職する道もゼロではないと思っていました。そういうことも考えて、留年したんです。就職するとなった場合には、新卒の方が有利だという話を聞きましたので」

 熱い思いとともに、こうした冷静な戦略が同居するのが、頭の良い人間の強みなのだろう。溝内によると、当時の野球部内において留年はそこまで珍しい事例ではなかったという。また、就職氷河期の悲壮感も同期の中にはなかったようだ。

「当時は留年した人が取り立てて話題になることもなかったです。単純に、単位が足りなくて卒業できない人はいましたが、就職氷河期だからという理由は聞いたことがない。やむなく留年した同級生も、翌年には銀行や証券会社、テレビ局などに就職していましたから、氷河期という実感はなかったです」

「面接を受けたのは1社だけです」

 実際、溝内と同期で同じく留年した済木俊行(1999年卒部・県千葉)も、翌年の就活で面接を受けたのは1社だけだとか。

「当時はOB会が就職をサポートしてくれていて、僕は普通の就活をしていませんでした。東大野球部のグラウンドの人工芝は、ヤクルトスワローズが優勝すると、神宮球場の芝をもらってきて張り替えるんです。神宮球場に人工芝を提供していたのが旭化成で、その際に同社の方と話す機会がありました。そうした経緯があって、化学で社会貢献ができ、かつOBもいた旭化成を目指すことにしたんです。結果的に面接を受けたのは旭化成だけです」(済木俊行)

 かつての古き佳き時代は、体育会の学生の多くが、OBのサポートで就職していたものだ。済木のケースはまさにこれだろう。

「正直に言うと、僕の就活は下駄を履かせてもらっていたと思います。それを実感したのは、旭化成を数年で退社し、渡米してから。アメリカの大学で勉強してから、現地で就職しようと思って求人サイトに登録して何社も応募したのですが、まったく返事がこないんですよ。仕方ないので、教授のツテでバイトみたいな仕事を紹介してもらってしのぎ、その後まともな仕事に就けましたが、それも友人のおかげでした。日本に帰国してからも一向に仕事が決まらず、運良く巡り合った東大野球部の10個上の先輩が経営しているベンチャー企業に入れてもらいました」

「これでは東大野球部は面接で勝てない」

 そんな済木は、いま武田薬品工業で、主にエグゼクティブやプロフェッショナルの採用業務を担当している。12年前、同社がグローバル化の一環としてシンガポールで新卒採用を計画した際、採用マネージャーの外部サポート要員として現地に同行したのをきっかけとして、10年前に同社に入社したという。

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