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大谷翔平12歳が「かなわない」と思った“同学年のライバル”…なぜ2人には“差”がついた? 本人たちの証言「大谷君のスライダーを見た時…」
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![石田雄太](https://number.ismcdn.jp/mwimgs/6/3/-/img_63c0172edf1a3eec5d5017836b5eb9301895.jpg)
石田雄太Yuta Ishida
photograph byJIJI PRESS
posted2022/07/31 17:00
![大谷翔平12歳が「かなわない」と思った“同学年のライバル”…なぜ2人には“差”がついた? 本人たちの証言「大谷君のスライダーを見た時…」<Number Web> photograph by JIJI PRESS](https://number.ismcdn.jp/mwimgs/e/3/700/img_e392f400f75f01b51fff6cb1405bf714322515.jpg)
水沢リトルから一関シニアを経て、花巻東高で甲子園にも出場した大谷翔平
大谷「かなわないと思った」
小学校を卒業するとき、大坂の身長は168cm。背が高いだけでなく、ガッチリとした体つきをしていて、誰が見てもでっかい少年だった。左利きで、ピッチャーとしては力のあるストレートがコーナーに決まれば「打たれた記憶がない」(大坂)ほど。さらにカーブも、相手からは「左バッターの頭からストライクゾーンまで曲がってくる」と恐れられていた。打てばホームランを連発する大坂の存在は、当然、大谷も知っていた。だから決勝進出を決めたあとの第2試合で投げた大坂のピッチングを大谷も気にして観ていたのである。大谷は大坂のことをこんなふうに話していた。
「長者レッドソックスに大坂君というピッチャーがいて、これはすごかった。そのときはもう、かなわない、負けたと思いましたね。僕よりでっかくて、体すげえな、すんげえ力だな、すげえ球も投げるなと思って、上には上がいるんだなと……」
大坂と大谷が一塁上で交わした言葉
青森の大坂と、岩手の大谷。
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2人はリトルの試合で直接、対戦することはなかった。ともに全国大会への出場を決めて戦った東北大会の決勝戦では、大坂も大谷も登板機会がなかったからだ。その試合では水沢が長者に勝っている。そして大谷、大坂はいずれもホームランを打った。その試合中、彼らは初めての会話を交わしたのだという。大坂がこう明かした。
「ファーストを守っていて、大谷君が一塁へ来たときに、初めて喋ったのを覚えています。大谷君に『今までにホームラン、何本打ったの』って訊いたんです。自分も青森県で20本以上打ってきましたから、けっこう自信があったんですけど、大谷君に『35、36本かな』って即答されて、『うわっ』とひっくり返りました(笑)」
野球の腕に覚えがある中学生にとって、ホームランの数はわかりやすい物差しだった。その数字では大谷が上回っていた。ところが大谷は「大坂君にはかなわない」と感じ、大坂のほうは「大谷君に勝っている」と思っていた。大坂はその理由をこう話す。
大谷が知った現実「僕はたいしたことないんじゃないか」
「自分には全国でもイケるだろうという気持ちがありましたからね。全国大会ではベスト8まで勝ち上がったんですけど、準々決勝では連投禁止のルールがあって投げられず、ボロ負けしたんです。そのときの相手(東京・北砂リトル)が優勝したんですけど、向こうのコーチから『お前と対戦したかった』と言ってもらって、それがものすごく自信になりました」
一方、大谷のいた水沢リトルは、全国大会の初戦で船橋リトルに0-2で敗れた。そのときのことを大谷はこう振り返った。
「全国大会には確かに出ましたけど、それこそ1回戦で負けましたし、そのときのピッチャーが僕よりもいい球を投げて、4番バッターが僕よりいい打球を打ってた。しかも、その1回戦で負けた相手が、次の試合であっさり負けて……そういう現実を見せられたら、僕はたいしたことないんじゃないかなと思いますよね」