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大谷翔平12歳が「かなわない」と思った“同学年のライバル”…なぜ2人には“差”がついた? 本人たちの証言「大谷君のスライダーを見た時…」
text by
石田雄太Yuta Ishida
photograph byJIJI PRESS
posted2022/07/31 17:00
水沢リトルから一関シニアを経て、花巻東高で甲子園にも出場した大谷翔平
大谷は花巻東、大坂は青森山田へ…
やがてリトルリーグを卒業した2人は同じ悩みに直面する。水沢リトルにも八戸リトルにも当時、直結するシニアのチームがなかったのだ。だから大谷は、家から車で1時間も離れた一関シニアまで通って硬式の野球を続けた。しかし、大坂は中学の野球部に入ることにした。そこで軟式のボールを握ったことが、大坂に思いもしない戸惑いをもたらすことになる。
「軟式のボールを投げたとき、指で弾こうとするとボールが潰れちゃう感じがしたんです。硬式だと、力いっぱい投げても指先にピッと引っ掛かってくれるんですけど、その感覚が違って、ストライクを投げられなくなってしまいました」
どうせ軟式だからとたかをくくってしまっただけでなく、硬式を握れば全国クラスだという自信が、大坂からひたむきさを奪ってしまう。「やらなくてもできる」(大坂)と思い込み、天狗になっていた中学時代、大坂はほとんど練習しなかった。それでも彼の評価は高く、青森山田、光星学院(現・八戸学院光星)、八戸工大一という、いずれ劣らぬ強豪校から誘われた。青森県内にかなわないと思う同級生は「一人もいなかった」という大坂は、青森山田を選ぶ。
再会した2人…大坂に大谷の球は打てなくなっていた
たまたまではあるが、大谷が入学した花巻東と青森山田は、年に10試合も練習試合を組む間柄だった。だから大坂は、ほどなく大谷と再会を果たす。高校2年の5月に行われた練習試合で4年ぶりに会ったライバルに、彼らは別の意味で驚かされた。
「整列したとき、おおって感じになって、あのときの大坂君か、と思ったら、メッチャ、小っちゃかった(笑)。青森山田は入るだけで大変だし、2年でレギュラーなんてすごいな、頑張ってやってたんだと思いましたけど、でも、ピッチャーはやってなかったし、あれだけすごかったのになぜなのかなと思いました」(大谷)
「ピッチャーの大谷君とは4、5打席、対戦しましたけど、打ててないです。三振と、ピッチャーゴロだけ。あっ、デッドボールが1個、ありました。あんな変化球、初めて見ましたね。ストレートも速かったんですけど、スライダーは消えた……あの、よく消えたとか言いますけど、あのときまで、消えるって意味がわからなかったんです。でも大谷君のスライダーを見たとき、ああ、こういうことなんだと思いました」(大坂)