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清宮幸太郎23歳(早実→日本ハムドラ1)に今まで辛口すぎたのかも… 「オールスターのサヨナラ弾」を生で見て感じた“大砲の転機”
posted2022/08/02 11:04
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph by
Hideki Sugiyama/JIJI PRESS
筆者が清宮幸太郎を意識して見るようになったのは、2015年のことだ。
中学時代からスポーツ紙やネットでは騒がれていたが、早稲田実業1年の夏に、甲子園に出場したときにはすでに有名選手で、打席に立つと大きな拍手が起こった。期待にたがわず、清宮はこの大会で2本塁打を放った。
1年生にしてU18日本代表に入った時の記憶
秋になってWBSCのU18ワールドカップの日本代表に、1年生ながら選ばれた。この大会は甲子園など関西地区の球場で行われたので、筆者は連日観戦した。
この大会で目立っていたのは、関東一高の3年生オコエ瑠偉(現楽天)と1年生の清宮だった。投手では仙台育英の佐藤世那(のちオリックス、引退)が目立っていた。
試合前のノックで、まだ細かったオコエは右に左に駆け回り、カモシカのような躍動感があった。清宮は一塁を守ったが、ミットで受けた球をうしろにぽいっと投げる動作が、どうしたのかな、と思った。
U18ワールドカップは12カ国が参加したが、日本、アメリカ、韓国、カナダがずば抜けていて、他の国との試合はほとんど10点以上差がつくコールドゲームだった。
高校生たちは力量差があるチームを相手に打ちまくっていたが、清宮だけは蚊帳の外という印象。9試合のうち8試合で4番に座ったものの、27打数6安打0本塁打2打点に終わった。7試合がDH、一塁を守ったのは1試合だけだった。
当時は「まだ1年生だから、甲子園での疲れがあったんじゃないか」など、清宮に同情的な声が多かった。当時の代表監督は大阪桐蔭の西谷浩一監督だったが、すでに「球界のアイドル」のようになった清宮に気を遣っているのではないか、という印象すら持った。
清宮には大きなステージが“お膳立て”されていた
清宮は3年生の2017年春にも甲子園に出場。この大会では本塁打を打つことができなかった。この年の早実では、1年下の野村大樹(現ソフトバンク)の方がきびきびした動きで目立っていた。高校通算111本塁打と言われる中、清宮は甲子園では2本だけに終わった。
その年のドラフトで、清宮はロッテ、ヤクルト、日本ハム、巨人、楽天、阪神、ソフトバンクの7球団から指名された。高校生では1995年のPL学園・福留孝介に並ぶ史上最多の指名数だった。引き当てたのは日本ハム、清宮の外れ1位で九州学院の村上宗隆がヤクルトへ、履正社の安田尚憲がロッテに入団した。
高校までの清宮幸太郎は、彼が希望する前に、大きなステージが先にお膳立てされている印象があった。