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「お金もない。だから、場所はなかった」ジュリアーノ・アレジ22歳の告白《夢だったF1への絶望と日本に見出した希望》 

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大串信

大串信Makoto Ogushi

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photograph byAsami Enomoto

posted2022/07/16 11:01

「お金もない。だから、場所はなかった」ジュリアーノ・アレジ22歳の告白《夢だったF1への絶望と日本に見出した希望》<Number Web> photograph by Asami Enomoto

注目の若手レーシングドライバー、ジュリアーノ・アレジ。22歳。なぜ彼は本場ヨーロッパを離れ、遠い日本にやってきたのか?

 2017年は3勝してランキング5位につけたジュリアーノは2018年、ランキング7位で終え、2019年には上位カテゴリーであるF2へステップアップを果たした。F2はF1直下に位置づけられ、ここで好成績を残せばいよいよF1へ進出する可能性が広がるカテゴリーである。しかしF1への最終関門へたどりつきながらジュリアーノはここで思い通りの成績を挙げることができなかった。

「クルマのせいやチーム、エンジニアのせいにするのはあまり好きじゃないけど、でもやっぱりほんとに良くなかった。時々ポイントが取れたくらいで、表彰台に上がるなんて、あり得なかった」

 確かにF2はGP3を勝ち抜いた優秀なドライバーが集まる激戦区で、そこで好成績を挙げるのは容易ではない。自分の能力やチーム体制、エンジニアリングが少しでも足りていなければ上位争いは難しい。しかしジュリアーノはもっと別の部分で苦戦したのだと示唆する。

「ステップアップするにつれ、どんどんお金がかかるようになって、スポンサーを見つけるのが難しくなっていきました。基本的に、僕のスポンサーはお父さんが探してきた。でも、僕たちのスポンサーはほとんど『友達』だったんです」とジュリアーノは言う。

資金を動かせる選手が有利な立場を得るようになった

 本来、スポンサーは広告・宣伝のために資金を提供し、提供された競技者は広告・宣伝効果を対価として返しビジネスを成立させる。しかしジュリアーノのスポンサーは「友達」であり、好意で資金を提供した後は対価を求めなかった。ジュリアーノにとっては、それはビジネスではなく、資金を得ながら内心忸怩たるものがあったのだろう。

 さらに、ヨーロッパでは対価を求めないスポンサーの存在が大きくなり、選手の実力とそれに対して動く資金のバランスが崩れつつあった。その結果、実力がないにもかかわらず資金を動かせる選手が有利な立場を得るようになり、純粋に技量を競う場であるはずのスポーツが変質していった。これは、ジュリアーノにとっては面白くない流れだった。

「お金を持っているドライバーは、何回もテスト走行ができるから、レースウィークが始まったときには他のドライバーより速くなっている。レースウィークだけを見ている人は、そういうドライバーを速いと思うけれど、本当は全然速くない。名前は挙げたくないけど、ヨーロッパにはそういうドライバーがいっぱいいる」

 モータースポーツは「限られた練習の中で順位を競うスポーツ」だと言われる。確かにこれは不文律ではある。しかし資金豊富なドライバーはただでさえ充実した体制を整えられる上、不文律を超えて練習ができるので公平な競技が成立しにくくなっている。ジュリアーノは名前こそ挙げなかったが、そういうドライバーに先を越され、F2の壁にぶつかってF1への道を閉ざされてしまったのだ。

 ジュリアーノが2シーズンF2を闘った後、2021年1月のテスト走行をもって5年間にわたるFDAでの活動を終えることになった際、父アレジは「私にはF1チームを息子に買ってやるだけの金はない。ヨーロッパにはフェアなモータースポーツ環境はなくなった」と言った。ジュリアーノもそれを認める。「たしかに父はそう言っていた。ヨーロッパのモータースポーツはすごく汚いと思うって」

 こうしてジュリアーノはヨーロッパでF1を目指すことをあきらめ、日本へ転進することを決めた。

【次ページ】 なぜ日本を選んだのか?

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