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「13歳までレースは絶対許してくれなかった」ジュリアーノ・アレジ22歳が明かす“ジャン・アレジ&後藤久美子の教え”

posted2022/07/16 11:00

 
「13歳までレースは絶対許してくれなかった」ジュリアーノ・アレジ22歳が明かす“ジャン・アレジ&後藤久美子の教え”<Number Web> photograph by Asami Enomoto

昨年から日本を拠点にする注目のレーシングドライバー、ジュリアーノ・アレジ22歳。父は元1ドライバーのジャン・アレジ、母は女優の後藤久美子だ

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大串信

大串信Makoto Ogushi

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Asami Enomoto

昨年から日本のモータースポーツ界に注目の選手が参戦している。ジュリアーノ・アレジ、22歳。本場ヨーロッパでも4輪デビュー戦となったフランスF4選手権の初戦でいきなり優勝をするなど、その輝かしい才能が話題となった彼だが、それだけではない。元F1ドライバーのジャン・アレジと日本の人気女優である後藤久美子を両親に持つ。

「両親は厳しかった」と振り返るジュリアーノは、いかにしてレーシングドライバーになったのか。本人が明かす(全3回の1回目/#2#3に続く)。

 ジュリアーノ・アレジは1999年、元F1ドライバーであるジャン・アレジと日本の女優である後藤久美子との間に生まれたレーシングドライバーである。父アレジは2001年にF1の現役を引退した後、メルセデス・ベンツのワークスドライバーとしてDTM(ドイツツーリングカー選手権)に転身、競技活動を続けた。父アレジは幼子をDTMの現場に帯同したようで、ジュリアーノは物心ついたときにはモータースポーツの現場にいたと言う。

「ちっちゃい頃からエンジンのうるさい音が大好きだったんです。3、4歳ぐらいの頃、お父さんとレースの現場に行ってた。クルマを見るのも、音もにおいも、全部大好きだった。触るのも大好きで、(走行直後)熱くなって赤いブレーキディスクに知らないまま触ってしまったことがあった。1回触って、赤いときは触っちゃダメだって覚えた(笑)」

「お父さんもお母さんも学校へ行けとすごく厳しかった」

 元F1ドライバーの息子として幼児の頃から最先端のレーシングカーに文字通り触れ、まさに英才教育の条件が整っていたジュリアーノが「自分もレースがやりたい」と言い出したのは必然だった。ところが、意外なことに父アレジは「ダメだ」とジュリアーノの申し出を当初、受け入れなかった。

「レーシングカートを始めたいと言ったけど、最初は『ノン!』と言われちゃった。それで、13歳までできなかった。お父さんもお母さんも学校へ行けとすごく厳しかったの」と、ジュリアーノは当時を振り返る。

 ジュリアーノの母親である後藤は、本人もレーシングカートを嗜むなど大のモータースポーツ好きで、日本のF1ブームの中、ジュリアーノの現マネジメントを担当する会社代表がきっかけで父アレジと知り合った。結婚して3人の子どもを授かり、長男として生まれたのがジュリアーノだ。モータースポーツが縁で結ばれた父母ではあったが、当初息子のモータースポーツ入門を積極的には後押しせず、スポーツ選手としてよりも社会人としての成長を優先していたようだ。

「お母さんは、エデュケーションや挨拶、他の人とのリレーション、しゃべり方、テーブルマナーなど、とても厳しかった。エデュケーションについてはお父さんも厳しかったけど、お母さんと息子のリレーションは近いから、何かあると必ずお母さんから言われていた」

【次ページ】 「お母さんは日本語と英語、フランス語もちょっと」

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