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「お金もない。だから、場所はなかった」ジュリアーノ・アレジ22歳の告白《夢だったF1への絶望と日本に見出した希望》
posted2022/07/16 11:01
text by
大串信Makoto Ogushi
photograph by
Asami Enomoto
では、なぜジュリアーノ・アレジは本場ヨーロッパから遠く離れた日本にやってきたのか。ヨーロッパでの苦悩の日々と日本参戦の秘話を聞いた(全3回の2回目/#1、#3)。
父はスター選手「僕は僕、お父さんはお父さんなので」
フェラーリでF1を闘った経歴を持つ父親ジャン・アレジを追うように、ジュリアーノ・アレジは2016年、フェラーリ・ドライバー・アカデミー(FDA)に選抜されトップドライバーへの道を歩み始めた。モータースポーツの世界に足を踏み入れてからは父アレジから厳しい指導を受けたとジュリアーノは言う。
「父は、トレーニングとか、決断や自制についてすごく厳しかった。でも父から『~をしろ!』と言われたことはない。とにかく『あなたがやりたいなら、あなた自身がやらなくちゃいけない。僕はあなたのために何もできない』と何度も言われました。
早起きすること、夜遊びしないこと、飲まないこと、とにかく自制すること……父は、すべては僕が自分からやらないといけないということを気づかせてくれたし、自分に厳しくすることを教えてくれました」
では、コースの上でどんな走りをするべきか具体的な指導はなかったのだろうか。
「そういうのはなかった。でも、上手くいったときは理由を知りたいし、うまくいかなかったら、何でうまくいかなかったのかを知りたいですよね。そういうとき父は、外から見た状態を僕に説明してくれました。僕はどうだったか、他の選手はどうだったか。でもその後、何が良かったのか悪かったのかは、僕が自分で考えるんです」
元F1ドライバーを父親に持っていれば、何かと比較もされただろう。ジュリアーノは外からの目をどのように感じていたのだろうか。
「僕と父を比べる人はいっぱいいましたが、それはレースを知らない人だったんだと思う。だって、僕と父とでは生きている時代も違う。父の頃は、4輪レースをするためには乗用車のライセンスが必要だったけど今は必要ない。乗用車のライセンスを持たないままF1に乗る人だっている(※)。状況が全然違うから比べられないし、僕自身も父を意識はしなかった。常に次のレース、次のレースにフォーカスしていました。僕は僕、お父さんはお父さんなので(※2016年よりF1のスーパーライセンス取得には運転免許が必要となった)」
最終関門へたどりつきながら届かなかったF1
FDAに所属したジュリアーノは、2016年シーズンはGP3シリーズへステップアップしてレースを戦った。しかし前年のフランスF4選手権ほどに華々しい結果を残すことはできなかった。
「2016年から2018年、GP3を闘いました。時々クルマのパフォーマンスが足りないときはあったし、若かったから時々は僕自身がミステイクをおかしたりもした。でも悪い3年間ではなかった。2017年は2016年に比べて成長できたと思う。2018年も、僕のドライビングは成長したと思う。ただクルマの方があまり良いフィーリングにはならず、ちょっとバラバラなシーズンになってしまいました」