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「お金もない。だから、場所はなかった」ジュリアーノ・アレジ22歳の告白《夢だったF1への絶望と日本に見出した希望》 

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大串信

大串信Makoto Ogushi

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photograph byAsami Enomoto

posted2022/07/16 11:01

「お金もない。だから、場所はなかった」ジュリアーノ・アレジ22歳の告白《夢だったF1への絶望と日本に見出した希望》<Number Web> photograph by Asami Enomoto

注目の若手レーシングドライバー、ジュリアーノ・アレジ。22歳。なぜ彼は本場ヨーロッパを離れ、遠い日本にやってきたのか?

なぜ日本を選んだのか?

「ヨーロッパであれ以上はもう無理。リザルトはないし、お金もない。だから、場所はなかった。もちろん、いい気持ちではなかったけど、でもすぐ前に行かなきゃいけなかった。後ろを見ている時間はなかったから」

 ジュリアーノが転進先に日本を選んだのは、自分のルーツの1つであることと、何より以前から日本には高いレベルのモータースポーツ界が独自に発展していることを知っていたから。以前から活動する可能性を考えていたという。

「何年か前から日本でスーパーフォーミュラ(SF)に乗りたいと思っていたの。SFは、F1とF2の間、F2よりF1にずっと近いカテゴリーだと知っていた。それで2020年の9月だか10月だかに日本に来て、トムスの舘(信秀)さんと話したんです」

 舘が率いるトムスは、SFやSUPER GT(SGT)など国内トップカテゴリーを中心に幅広い活動を展開している日本のトップチームであり、海外の若手を起用して育てることでも定評がある本場ヨーロッパでも名前の通った名門だ。

「舘さんは、『SFは無理だけど、どうしても日本に来たかったら、(SFの下位カテゴリーである)スーパーフォーミュラ・ライツ(SFL)でシートを空けられるかもしれない』と言ってくれました。その時点では確約ではなかったけれど、それでも挑戦したかった」

 その後、トムスは正式にジュリアーノをSFLのドライバーとして迎えることを決め、ジュリアーノは2021年、日本のレースにデビューした。SFLは、F2に比較すれば格下のカテゴリーではあったが、ジュリアーノはその後の可能性を信じてトムスに飛び込む決断を下した。

「SFに乗りたい!!!」トムス監督に電話し続けて…

 ジュリアーノは初めて走る日本のコースでシリーズチャンピオンを争う活躍を見せたが、シーズン途中にはSFに参加できなくなった選手の代役として念願のSFにもスポット参戦、悪天候によるレースの混乱にも助けられてなんと優勝するという大金星を挙げた。SFLシーズンでは最終的にチャンピオンと総合同得点でランキング2位には終わったが、これらの活躍が認められ、今年ジュリアーノはトムスでSFとSGT、GT500クラスのレギュラードライバーとして国内トップドライバーの1人に名を連ねることとなった。

「とにかく、どんどんプログレスしたかった。もちろん、クルマと外国人ドライバーのエクスペリエンスがあるトムスにはすごく助けられた。僕が日本語を少し話せたのも良かった。でも、そこからのパフォーマンスは僕とチームと一緒になって探す必要があった。もちろん今でもそこに集中しています。

 今年、SFとGT500に乗れることになったのはすごく嬉しかった。去年、8月、9月、10月は舘さんや山田さん(淳。トムス監督)に、『SFに乗りたい、GT500に乗りたい』と電話し続けたんです。もしかしたら、電話が鳴るたびに『またアレジ!?』と嫌がられたかもしれないけど(笑)、本当に乗りたかったから電話し続けた。正式に決まったときには最高だった」

 ヨーロッパに絶望し日本に希望を見いだしたジュリアーノは、自身の熱意で望み通り活路を切り開いたのである。

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撮影=榎本麻美

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